美女との会話

スリランカ
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    その間、様々な人間模様を眺めることもできました。二人のパキスタンからの紳士達は密輸関係の仕事で友人を迎えに来ていました。およそ10人ほどの南ンンドからの旅行団は、深夜に到着。翌日の12時半のエアー・ランカで故郷に帰るのに時間待ち。彼らは明け方コロンボ市内の見学にでかけたようです。空港内の警備員の一人は出身がスリランカ中部のカンディ出身で、私の常宿ムナシンハ家(Munashinge Family)から10軒隣に、彼の息子が住んでいたりして・・・。その他に自称 CID(Central Investigation Department)と申すもの。ともかく飽きることなく人生模様を観察するには絶好の場所です。深夜にも拘らず全然眠くならず、我ながら興奮のスリランカ第一夜でした。

    ボンベイからの彼女はインドルピー(インドの通貨)を沢山持っているのですが、他の通貨(国際的に信用あるドルやポンドなど)は持ち合わせがなく、両替できずに困っていました。そっと僅かながら、私は前回訪問時の使い残りの中から30ルピーの寄進。空港外のCanteen(簡易食堂)でティーをご馳走して別れました。うっすらと微笑んだ姿は、忘れることができません。彼女は昨日は急なる旅立ちで十分な睡眠をとっていないとのこと。そして今日も眠れず。ボンベイの自宅へカラーテレビのセットを持ち帰るところなんですけど税関がちょっと問題と悩んでいました。

    そんな中で独りぼっちの彼女とは何故か気が合い、次回は彼女の土地なるボンベイで会いましょうと住所を交換し固く握手してしまったのです。果たして彼女は無事家に帰ったものだろうか・・・・。我々二人が話している間、友人のMr.Tstujiはグーグー安眠をむさぼっていました。我々二人のヒンズー語と英語のチャンポン会話を盗み聞きしていた後ろの席のパキスタン人も加わりました。どういうわけだか、10人程のタミール人グループまでもが、じわりじわりと集団移住し、和やかなムードが漂ってきました。しかし、彼女のインド訛りの英語は早口です。もう少しゆっくり話してくれたらいいのに・・・・。こじんまりとした愛嬌のある良きMissでありました。

    さて、朝食を済ませてから、彼女と別れて市内に向かうミニバスに乗り込みました。我が友人はサーフボードをもっていたので、最初から一人分余計に料金を支払う算段でした。それですんなりと交渉は成立。これは良いとして、コロンボに到着してから、サーファーのメッカなるヒッカドワ向かおうとして、ミニバスと交渉したところ、何と一人分プラスサーフボードの荷物代が125ルピ!シンハリ語でいろいろと応酬したものの、解決には至らず。何とこの料金は10人分の料金です。全く話にならず。車掌も強気に出ていました。

    これには、もうカチンと来たけれど、なす方法はなく、それならGovernment Bus(政府の公営バス)でいくからとたんかを切ったものの、これだけの荷物をもってウロウロするのは大変です。結局、列車で移動することになりました。

    バスの乗客の呼び込みを職としている若衆の一人が我が腕をつかんで「今列車があるからそれで行ったら良いさ」とつぶやいてくれました。でも確か彼が真っ先に我々のサーフボードをバスの中に運びこもうとしたはずです。もう、仕方がないのと癪にさわるのと・・・。もう少し冷静で時間があれば、反逆を試みたであろうに。そんなわけで彼はヒッカドワ、小生は、カンディへと再会を約束して別れました。

    今あ、半袖シャツの上にウィンドブレーカーを着ております。時々雨が降りまして肌寒い日々です。11月30日よりコロンボ市内には夜間外出禁止令(PM10:00からAM5:00)が発令されました。

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