アジア旅日記 南インドの旅(PartⅠ)2004年

ケララ州の水郷地帯

 アジア旅日記 南インドの旅(PartⅠ)2004年

ケララ州の水郷地帯

南インドの今は夏真っ盛りという気候です。インドといっても東西南北数千キロの広大な土地を抱えていますから場所によって大きく左右されます。通称北インドと呼ばれるデリー近辺の水銀柱は一桁です。更に北上すると場所によっては積雪を見ることも出来ます。・・・・・・ 

 

 

 

 

 

日程__1

費用(1)現地__3

費用(2)国内__6

地図__13

今回の教訓__17

旅日記__31

プロローグ_33

第一日目 コーチン到着_39

第二日目 社長と対面そして市内観光_47

第三日目 ストライキで予定変更_53

第四日目 船でゆったり終日観光_61

第五日目 今日は休憩_63

第六日目 峠を越えて隣の州へ_68

第七日目 ここが最南端!_73

第八日目 コバラムビーチで乾杯_78

第九日目 ちょっと風邪気味?_79

第十日目 さて帰国_86

プロローグ_90

雑感_94

 日程

日数

日時

宿泊地

内容

移動距離

1

1/4

コーチン

深夜現地到着

30キロ

2

1/5

コーチン

工場見学及び市内観光

20キロ

3

1/6

アレッピー

商談及び休憩

57キロ

4

1/7

コラム

船で移動

87キロ

5

1/8

コラム

休憩及び近郊観光

15キロ

6

1/9

クータラム

バスで移動森林浴

80キロ

7

1/10

カンニャクマリ

バスで移動最南端の散策

162キロ

8

1/11

コバラム

バスで移動海岸を散策

106キロ

9

1/12

トリバンドラム

バスで移動休憩

16キロ

10

1/13

機内

終日休息の日、夜空港へ

8キロ

総移動距離合計 591キロ

 

費用(1)現地

日時

宿泊地

宿泊料

通信費

食費

移動費

その他

1

1/4

コーチン

1535

0

104

865

74

2

1/5

コーチン

1535

0

630

205

0

3

1/6

アレッピー

321

193

660

143

349

4

1/7

コラム

1196

0

739

1631

383

5

1/8

コラム

680

203

1540

143

378

6

1/9

クータラム

742

227

751

260

25

7

1/10

カンニャクマリ

1730

74

1167

237

168

8

1/11

コバラム

2225

37

1656

393

50

9

1/12

トリバンドラム

1990

37

1013

35

161

10

1/13

機内

1990

0

556

371

1271

13944

771

8817

4284

2860

現地費用合計30,687

費用(2)国内

航空券(関空発コーチン、トリバンドラム)   91,000

査証取得費用(HIS委託)           10,000

現地費用                   30,687

富山関空往復概算               22,000

総合計153,000

地図

今回の経路

KollamからCourtalamの区間はバスで移動GPSシグナル補足不調

今回の教訓

ü    南インドの旅は暑さとの勝負です。

ü    暑さに負けない体力を蓄えよう。

ü    禁酒禁煙は健康に良くないけれどOK

ü    日当たりの良い部屋は熱風の巣である。

ü    水分の補給はしっかりと

ü    寝るときは冷房、扇風機は止めたほうが良い。

ü    南インドのローカル列車は以外と快適で格安。

ü    伝統ある菜食主義の食堂がお奨め。

ü    タミル州のバスネットワークは安心

ü    虫除け対策をしっかりと。(蚊)を防げ

ü    懐中電灯はやはり必要だったかも。

結論:郷に入っては郷に従え。自然体で行こう。

 

旅日記

 

プロローグ

南インドの今は夏真っ盛りという気候です。インドといっても東西南北数千キロの広大な土地を抱えていますから場所によって大きく左右されます。通称北インドと呼ばれるデリー近辺の水銀柱は一桁です。更に北上すると場所によっては積雪を見ることも出来ます。1220日にネパールのポカラを出発してゴラクプール、ベナレス、カルカッタ経由で南インド入りをしたのですが、道中ベナレスでは毛布にくるまっての睡眠でした。カルカッタに向かう列車は隙間風がヒュンヒュンと入り込みかなりしんどい行程でした。カルカッタはさすがに海が近いこともあってマイルドな気候でした。内陸部に入るに連れ日中の寒暖の差が激しくなってくるものです。ネパールも日毎に気温が低下していきました。そろそろ移動の時期です。真夏の太陽を求め延々と4000キロの渡り鳥人生の始まりでもあったのです。

今回の南インド行きは既に日本を出発する前から確定していたのです。30年以上も交遊関係にある杉田さんがインド行きを決定したのは昨年の春頃でした。ギター工房を営んでいる彼のメイルボックスに一通のメイルが舞い込んで来ました。開いてみるとインドにある材木輸出業者からのものでした。早速開いて見るとなかなかセンスのあるHPが紹介されています。これらの素材を直接入手出来ないものか検討が始まりました。インド商人と言えば騙されるのではないかと言う不安感が伴います。それでは現地に赴いて直接探りを入れるのが無難ではなかろうかという判断が働きました。

私は11月と12月はネパールでトレッキングをする予定がありました。12月も下旬になると寒くなってくるので南へ移動を考えていた矢先です。時期をほぼ同じくして昨年と一昨年にミャンマーへの旅をした友人達もインドに興味があるという話も持ち上がりました。結局時期を調整して杉田氏は1月上旬に、他の友人は2月上旬に旅をすることで話がまとまりました。3月には私は再びネパールへ北上です。

そんな状況で出発の日取りが正月明けの14日ということに決定したのです。年末年始は航空運賃が馬鹿高くなります。初めてのインド体験をする杉田氏にはどんな旅が待っているのでしょうか?

 

第一日目 コーチン到着

数日前からコーチンに滞在しての下調べが始まりました。今回のゲストは無菌状態、高品質社会にどっぷりと浸った一般的な日本人です。と言っても五つ星の宿を泊まり歩くほど裕福ではありません。インド社会は高級ホテルも数多くありますが、我々平均的な日本人には毎日の旅行費用として1万円を注ぐには高嶺の花です。今回の予算は一日平均2人で3000円というコースを設定しています。まあ中級程度の宿で辛抱して頂くしかありますまい。そんな訳で私はコーチンの安宿に投宿しながら情報収集の日々が始まりました。空港はコーチン市内というよりも、ALWEYという30キロほど離れた町にあります。しかも深夜到着となるとタクシーに頼るしかありません。果たしてどの位の費用がかかるものでしょうか?

市内中心部にある州政府観光局でパンフレットを入手しました。この資料は最近のものですから、比較的信頼があります。近年のインドはインフレが激しいのでパンフレット記載の価格と実勢とが大きくずれる場合があります。頂いた資料の中を検討し、数箇所をチェックしました。今回の宿はCochin Regencyがお似合いのようです。宿そのものは小さなものですが、以外とこじんまりとしスタッフも友好的で家族的な雰囲気です。この地域では多くの宿が24時間制のチェックイン・チェックアウト方式を採用しています。夜6時に入ると翌日の夜6時まで利用出来るという仕組みです。日本の宿の10時チェックアウトで午後4時チェックインなどという不便さは一体どこから学んだものでしょうか?この宿では空港へ送迎するならば350ルピー(900円)で用意出来るという回答がありました。マネージャーのSamsheer氏も落ち着いた人で好感の持てる表情をしていました。前金を払うこともなく名前を告げるだけで予約成立です。さてさて久しぶりに冷房の効いた快適な部屋を利用することになったのです。

まずは部屋を点検です。少しエアコンの音が高いかもしれませんが、値段から言えば無理はいえません。部屋も明るく大通りから入り込んだ位置にあるので静かな環境です。周囲には安食堂もチラホラ目に入りました。従業員もチップをねだるような素振りは一向にありません。スタッフは男ばかりなのですが、堅苦しさはなく何かと話し掛けてくれます。部屋はダブルベッドがボンとあったのですが、ツインベッドに置き換えてくれました。とにかくこの宿に2泊することに決定です。

シンガポールからの飛行機は夜の1020分到着予定です。空港へは40分ほどかかりますから9時半過ぎに宿を出発するように車を手配してくれました。格調高い?インド自慢の国産車アンバサダーを利用しての迎えとなりました。コーチンの空港は私にとっては初めての場所ですから多少の不安がありましたが、幸いに宿のボーイもドライブを兼ねて同行することになりました。夜9時過ぎともなれば道路渋滞はなくタクシーは心地良い風を切って出発したのです。

この空港はインドで唯一の民間会社によって経営されています。通常インドを出発する航空券には空港税が含まれていますが、ここだけは別途空港使用料を払わなければならないのです。勿論到着する場合は関係ないのですが…。コーチンの空港はなかなかセンスのある建物で、明るい雰囲気です。カルカッタ空港などはペンキが剥げていたり、街灯の一部が点滅したり、ゴミ<![if !vml]><![endif]>が散らかっていたりますから、ああインド到着という感慨深いものを感じさせるものが多くあります。ここはそれを感じることがありません。今回の旅はシンガポールで乗り継ぎをしてその日にコーチン到着という設定です。料金からするとインド航空が15,000円程度安いのですが、深夜にボンベイに到着して更に乗り換えが必要で、コーチン到着が朝の3時という不便さが残ります。しかもインド航空は常にハイジャックの危機にさらされ荷物検査が厳しく時刻通りの運行は期待できません。そんな訳で今回はSQMI(シンガポール空港とシルクエアー)の利用が決定したのです。しかもこのシルクエアーは料金上乗せなしで2都市間利用可能という嬉しい設定です。コーチンとトリバンドラム或いはハイデラバッドなどシルクエアーの乗り入れしているインドの都市を選択出来るのです。

飛行機は予定通りの運行でした。徐々に乗客の姿が税関を通過して吐き出されて来ました。30分ほど待ってようやく友人の姿を見出すことが出来たのです。お迎えの車は空港内で待機ですが、ここで駐車料金が30ルピー追加となりました。これは値切っても良いのですが、運転手やボーイの人柄の良さですんなりと支払うことにしたのです。真冬の日本を早朝出発し、その日の内に熱帯夜の続く南インドへはるばるようこそということです。急激な気温の変化は体によくないのですが…。それにしても世界は近くなったものです。国際航空路線も昔とは異なり蜘蛛の糸の如く各地を結んでいますから、様々な選択が可能となりました。30年前とは大きく事情が変化したことを痛感させてくれました。

さて、お迎えの車は気持ち良くエンジン音を響かせながら疾走していきましたが、そのうち急に速度を落としたのです。よろよろという感じで停車寸前になったのですが、運良く道路の向かいにガソリンスタンドが目に入りました。どうもガス欠のけはいです。あとは惰性で走って向かい側に直行です。ボーイが申し訳なさそうに「車代金を一部前払いして下さい。200ルピーで良いのですが…」成るほどこれこそインドという現実の第一歩の歓待かも知れません。インドは11日からガソリン代金が3%ほど値上がりし、リッターあたり90円になりました。これは日本の値段とあまり開きはありません。往復60キロの道程を1000円以内ですから安いものです。生活物価から比較するとガソリン代金は異常に高いものとして目に映るのです。車は宿に直行かと思うと車のオーナーの家に寄ってようやく11時半過ぎに宿に到着したのです。

無事宿に到着。一寸近くで夜食としてのスナックで再会を祝すことに成りました。長旅の疲れをじっくり休めましょう。ところで宿のスタッフは親子かと思っていたようです。

 

第二日目 社長と対面そして市内観光

<![if !vml]><![endif]>今回の旅の主要な目的はここコーチンにあるギターの素材を輸出している会社訪問です。数日前から現地入りをして既に面会をしていたので事は容易に進みそうです。社長一代で築き上げたギター材料輸出事業は順調な様子です。初めて電話を入れてアポを取りましたが、当の親分は旅行に出かけてしばらくの間不在とのことで息子が代理で登場です。場所はコーチン(エルナクラム)中央駅から歩いて5分ほどに自宅兼事務所がありました。私が先発として下調べをしていた時は州政府バス駅の近くに泊まっていたのですが、距離はそんなに離れていません。宿から事務所までは歩いて20分ほどの距離でした。そんな近い距離なのに車で送りましょうという対応を受けてしまったのです。彼らとはメールを介して時々連絡をしていたのでこちらの様子を飲み込んでいたようです。そんな訳で数日後に再度面会することになったのです。

社長の日課は毎朝8時半過ぎに自宅から10キロ離れた工場へ行き、自ら納入品のチェックなどに携わるそうです。昨日は深夜到着(日本時間では午前3時過ぎに就寝となったので朝はゆっくりすることにし、工場見学は10時半に迎えに来てもらうことになりました。それまではゆっくりと朝食を取りインターネット・カフェでメールをチェックしました。日本への国際電話は1分あたり25ルピーとかでトライしたのですが、いずれも話し中で連絡不能。この料金は日本で携帯電話の使用料とほぼ同じではないでしょうか?一分あたりインドから日本へは60円少々です。後日他の場所から電話をしたのですが、一分あたり80円の料金で済みました。どこからでも利用出来るのですが、小さな地方の店では日本へ電話をするケースは殆どありません。店の人が戸惑うのも無理はありません。インドの貸し電話システムは自動料金計算機が付いていますから明朗会計で安心して利用することが出来ます。昔に比べて雲泥の差があります。

インドも車両の数が急激に増加し大都市で道路を横断するのは慣れない人にとっては一苦労です。ここコーチンは人口150万人の大都会です。市内を南北に通称MGロードという繁華街が走っているのですが、車の流れは止むことはありません。陸橋もなし、あったとしても誰も利用しないでしょう。信号が赤でも人は平気で進んで行きます。向こう側に行きたいのにわざわざ信号のあるところまで行ってから逆戻りするなどという意識は毛頭ありません。どこでも良いから渡れるならば横断しようというのがインド方式です。インドでの交通規則は全て自分で決めているということになります。日本だと車が全く走らない場所でも信号が青になるまでじっと待っているのが当然とされていますが、インドでは全知全能を働かせての横断となりますから自然に感覚が研ぎ澄まされ、誰もがスイスイと器用にどこでも横断することになるのです。舗装状況が悪いので道はでこぼこで車のスピードは以外と遅く車の性能からしてスピードがでないという背景があります。また運転する人々も勘が良いと言えるでしょう。日本ではシルバーマークなどを貼り付けてチョロチョロ運転しているそうですが、こちらが事故の確率が多いのではないかと思います。いわゆる新陳代謝の激しい若さにみなぎるインドというとオーバーかもしれませんが…。

20分ほどで工場に到着しました。社長のゴパール氏はお父さんが材インドの英国系の商社に勤めていたのそうで英語も堪能で貿易関係の知識も豊富です。運良く25年前にアメリカ人がギター素材の輸出の話を持ちかけられ次第に経験を積んで現在に至っているとのことでした。今は幅広く米国だけではなく、イタリアやスペインそして韓国などにも納入しています。工場は以外と質素なものでしたが、第一工場そして第二工場と2箇所抱えています。製品を加工するのに機械をドイツから輸入して顧客のニーズに答えています。これだと自家用車が買える身分でしょう。来週からはアメリカへ1週間ほど商用に出かけるとのことで、これは毎年恒例の行事になっています。今回は息子も同行で事業を徐々に息子に譲っていこうという作戦です。

製品を見て杉田さんは満足そうな笑みを浮かべていました。専門家同士の話は手っ取り早いものがあります。相手が何を思っているかをすぐに察知して品物を準備してくれます。規格、寸法などはチラチラと数字を並べるだけで十分意思が通じているようです。価格も予想通り日本の半額程度で済みそうです。しかし、これは大阪や神戸、名古屋などの港へ陸揚げした場合の値段です。私たちの住んでいるのは富山ですから品物を引き取るのに大阪まで出かけるとかなりの出費になります。ゴパル氏は早速運送会社に連絡をして日本の地方都市への陸揚げが可能かどうか問い合わせてくれました。しかし返事は明日になりそうです。明日には詳細を報告して書類を宿に届けるとの約束をして別れました。勿論町まで冷房付ワゴン車で送ってもらいました。

南インドで多く見かけるベジタリアンの食堂で昼食を済ませ、歴史遺産の香り多いフォート・コーチンに出かけることになりました。船着場まで歩いて15分ほどです。ここでは船がバスの代わりをしているので便利で格安です。対岸に見えるフォートまでは2.5ルピーで20分の水上バスの旅です。湾内にはタンカーや貨物船などが停泊し、港町を味わうことができ異国情緒たっぷりで不思議な世界に入り込んだようです。元オランダの植民地跡を散策し、喫茶店でお茶を飲み、更に夕方はミュージック・ボートなるサンセットクルーズを楽しみ半日はつかの間に終了です。夕食はKSRTC(ケララ州政府バス公社)近くにある中華料理店に入りました。店名はBeijing Chinese Restaurantとなっていますが、実はネパール人の経営です。彼らと久しぶりにネパール語を交えて話しを楽しみました。以前はボンベイで仕事をしていたのですが、こちらに移転し最近7ヶ月前に開いたばかりとのことです。焼きそば、焼き飯など目の前ですばやく調理してくれます。以外と味もさっぱりしています。久々にインド的なものから離れた食事で胃袋も少しは落ち着いた様子です。彼らの話によると明日はストライキでバスは動かないと言っています。あれあれ一寸心配。果たしてどうなることでしょうか?

 

第三日目 ストライキで予定変更

さて、朝市内を散歩すると妙に車の数が少ないではないですか?これだと安心して道を横断することが出来ます。やはり嫌な予感は的中でした。ガソリン代が過去2ヶ月で12%上昇したのが原因でストライキ突入です。一部のオートリキシャを除いて全面ストのけはいで、多くの商店もシャッターを閉めたままです。宿で話を聞くと列車は動いているとのことで我々は今日の予定変更を余儀なくされてしまったのです。そんな訳で朝食を済ませてから再びゴパルさんの自宅を訪問したのです。早速コーヒーとケーキが登場し話を聞きました。協議していた日本の地方への出荷はOKとなりまずは一安心です。多少出費がかかるけどもそれはインド側で負担するということで一件落着です。気になる日本での関税の件も殆ど無税で受け取りが可能との情報も入手しました。後は日本に帰ってから相手を信頼した上で銀行送金をすれば良いということです。懸案の現地視察は以外とすんなりと終了したのです。

それにしてもゴパル氏も私たちを不思議な目で眺めていたのに違いありません。妙な姿ではるばる日本から登場した2人組をよくも丁寧にもてなしてくれたものです。ピシリと背広姿をしていたわけではなく、サンダル履きでラフな姿で出没した日本人2人は一体何者なのか疑われても仕方ありません。しかも一流ホテルに泊まっているわけでもなく安宿の部類にしけこんでいたのですから…。しかも大量に買い付けに来たわけでもありません。彼らの目には謎の人物としか映らなかったでしょう。一人は英語と南インドのタミル語を話し、もう一人は丸坊主で登場でした。最後は玄関まで丁寧に送ってくれたのには感激です。

予想もしなかったストライキ突入でムンナールという高原のリゾートに行く予定を変更せざるを得ません。列車で60キロ離れたアレッピーへ移動することになりました。南インドでの列車の旅は以外と穴場的な存在です。特に近距離は普通列車で格安に移動できます。コーチンからアレッピーは57キロありますが、普通列車は14ルピーですから日本円に換算すると35円にしかなりません。本数が少ないので移動する時刻に制限があるのと、駅はたいがい市内から離れているのが難点ですが、時間に余裕のある旅ではお奨めです。夕方4時半の列車はほぼ定刻より10分遅れて出発です。10両以上も連結していますからよほどの事がない限り満席にはなりません。日毎に道路事情が悪化しているインドでは、道路拡張は整備をしても増加する交通量に追いつくことが出来ずバスの旅は標定速度が30キロしか進みません。市内に入るとノロノロ運転となり普通列車で行くのとは大差がなくなりました。急行列車の魅力は長距離の移動に欠かす事は出来ません。先日乗車したカルカッタからコーチンへの列車は4時間遅れましたが、2400キロを48時間で結んでいます。夜も休むことなく進んでいきますから寝ている間に現地到着というメリットがあるのです。

そんな訳で列車の旅を少しばかり楽しむことになりました。インドでもケララ州は英語が比較的通じやすい地域です。昔から外国との交流が盛んな場所で宗教もキリスト教徒、イスラム教徒そしてヒンズー教徒と雑多です。古くからポルトガルやオランダの船が行き来していただけあってインドでもゴアについで西洋的な雰囲気をかもし出しています。国際空港が3箇所あり中近東やアジア諸国との空路も開けています。隣に座った乗客がもの珍しそうに我々を眺めて話し掛けてきました。インド人と外国人との会話は大体どれも似たりよったりです。多くの場合国名と名前と職業を質問して終了となるのです。お互いに黙って座っているよりも少しは話し合いをしたほうが人生楽しいには間違いありませんからね。

最高時速80キロで列車は快走し1時間半後にはアレッピー到着です。市内と駅は3キロ以上離れていますから歩いて移動を覚悟していたのですが、幸いにも三輪タクシーがストにもかかわらず通常の料金で運行していました。ケララの人々は本当に親切です。我々はアッサムかどこかインドの北東地域から来た旅人と思われたようで、タクシーの運転手に交渉しているのをヒンズー語で仲介してくれました。料金の交渉も念を押して確認してくれるという親切ぶりです。これで安心して任せることが出来ます。とにかくバス駅周辺の宿に向かってもらうことになりました。

先日この町で宿泊したSEEBA Lodgeの近くにはもうひとつ高級なKOMALA Hotelがあります。さてどちらに宿泊しようか…?とにかく部屋を見て納得行くようならということでまずは安宿(一人なら100ルピー二人なら130ルピー)で部屋を見せてもらいました。到着したのは日が暮れてからですから少々ベッドに傷があってもペンキが剥げていても蛍光灯の下でははっきりとわかりません。以外と綺麗な部屋に見えるものです。後で発見したのですが、部屋のコーナーからコーナーへは無数の蟻が行列をなしていました。そんな訳で杉田さんも納得。何とか眠れそう。まあこれも経験のひとつかも知れません。この宿は現地の商人宿みたいなもので結構繁盛している様子です。奥まった場所ですから以外と閑静です。何よりもマネージャーと顔見知りということで親近感が沸いています。今日の出費は真に少ないものです。これだと予定した金額を使いこなすには大変な努力が必要になりそうです。夕食は船着場の近くのCAFÉ VENICEで焼そばを頼みました。蚊取り線香に火を点けて今日はご苦労様でした。

 

第四日目 船でゆったり終日観光

早朝はけたたましい音で一度目が覚めました。隣にはモスク(回教寺院)があり、朝の祈りとしてのコーランの暗誦が大きく響いてきたのです。慣れない人にとっては単なる騒音ですが、イスラム教徒にとっては敬虔なものでこれを聴いて心が休まると言います。今日の船は10時半出発で夕方6時半に終点到着という予定ですから、朝はゆっくり過すことが出来ます。しかしその安息は早朝のイスラム教の祈りで無残にも敗れてしまったのです。

船は定刻どおり10時半に出発です。外国人が20人ほどほかにインド人の集団が30人。それから個人旅行のインド人が20人 程度とほぼ満席の状態で出航です。南インド水郷の旅の始まりです。椰子木林の中を水路が走りそんな中を時速15キロほどでのんびりと進む観光船は内外に人気を博して今は料金が300ルピーとなりました。以前訪問した時は100ルピーでしたが、一気に跳ね上がったようです。水郷地帯の観光地としてアレッピーは益々発展を遂げたようで豪華なハウスボートが乱立するようになりました。バックウォーター内は大小様々な船が行き交うようになりました。漁師は魚を釣るよりも観光客を釣るのが収入が確実で儲けが大きいと知ったようです。いつまでも飽きの来ない眺めが続きました。午後1時過ぎには昼食の時間で30分ほど休憩です。契約しているドライブインがあるのでしょう。一度に50人がやってきても対応可能です。テーブルの上には<![if !vml]><![endif]>バナナの葉が手際よく並べられ係りがピクルスや野菜の煮込みを葉の上に並べていきます。その後は洗面器に入れたご飯を注いで回り、次の係りが野菜のカレー汁をバケツから汲み出してぶっかけて行く方式ですから以外と手早いものです。客の要望に応じて魚のフライとパイナップルを配って終了です。勿論お代わり自由ですから腹いっぱい食べることが出来るのです。食べ終わるころには請求書が回ってきます。定食一人35ルピー、魚フライ10ルピー、パイナップル一切れ10ルピーという値段は陸地に比べると割高ですが、ここしか食べる所がないとう弱みがあるので仕方ありません。まあ船の景色があまりにも良いので誰も不平を言う人はいないようです。

同じ船に乗り合わせたインド人巡礼団のグループはいつもにぎやかにはしゃいでいます。そんな中を杉田さんは彼らに取り囲<![if !vml]><![endif]>まれてしまったのです。Andra Pradeshからきている巡礼団は外国人と接するのは初めての様子で興味駸々と私たちを眺めていました。日本という国に興味があるのかどうかわかりませんが、彼らにとっては遠き外国です。その外国の人と話をしたということは故郷に帰ると自慢の種になるものです。杉田さんも練習中の英語会話を駆使して応戦している様子です。まさにここは自然に英語を練習できる場所なのでした。その中の一人が日本のコインを握り締めて自慢していました。さぞかし良いお土産になったものです。遠路はるばる巡礼にくればこんな幸運に巡り合えるものと納得しているでしょう。

終点が近くなって船が停船したのです。スクリューに絡みついたゴミを取るのに係員が素潜りで格闘しています。20分ほどで作業終了。スクリューには大きなプラスチックの袋が巻き付いていたのでした。インドも次第に工業化が進み人々の生活水準<![if !vml]><![endif]>が上昇するに連れ公害、環境問題も頭を持ち上げてきました。南インドは特にこのケララ州は水が豊富なので大きな影響はまだ出ていないようですが、北インドのデリー周辺やボンベイ近辺は自然破壊が進行中とか!ネパールのポカラはヒマラヤの展望台として有名な観光地ですが、冬でも山の姿が綺麗に見えなくなったと嘆いています。どうもインドの工業化が影響して埃を含んだ雲が邪魔をしているという噂が絶えません。中国の工業化は日本列島の自然破壊に一役買っているのに似ています。今後どうなることでしょうか?

船が終点に近くなってからガイドが声をかけて来ました。安くて良い宿が海岸に面してありますよ。船着場から3キロ、駅から1キロという話です。さてこの話に乗っかりオートリキシャを30ルピーに値切って出かけて見ました。幸いにGPSがその機能を十分に発揮したのです。何と宿に到着すると5キロほどあります。駅からは3キロ以上あります。しかも市内へは遠いので食事をするにも不便です。どうも約束が違うではないかと抗議してハイさようなら。GPSが立派な証拠です。車代金も自分持ちですから誰も文句は言えません。便乗してきた宿の従業員が同じ便で市内に帰ろうとしたのをつっけんどんに断って又来た道を引き返し今度は立派そうに見える市内の宿にチェックインしたのは当然です。

同じ船に乗り合わせた日本人がちょうどチェックインをしていたところです。今日は奮発してデラックスルームを決定です。さて、部屋を見せてもらい、ベッドはダブルベットでTVも付き一寸豪華に見えました。これなら冷房は必要がないと判断しOKサインを出したのがそもそも誤りのもとでした。ツインの部屋が良いかどうか聞かれて即OKを追加。実際は日当たりの<![if !vml]><![endif]>良い最上階になったのです。これがううん。これが最悪で三方向から温められた部屋ですから窓を開けてもまだ蒸すのです。結局今宵は熱帯夜にはまってしまったのです。夜中に再度シャワーを浴びるという悲劇を味わった旅の一日でした。どうも今日はついていません。まあ冷えたビールで乾杯できたのが何よりの慰めだったかも知れません。

    

第五日目 今日は休憩

そんな熱帯夜を経験したものですから睡眠不足もたたり今日は宿換えをしてもう一日この町で過すことになりました。おまけに蚊がぶんぶんと徘徊するという二重の苦難を背負っていたのでした。朝は冷房の効いたレストランで西洋風の朝食で済ませインターネットの店に向かいました。残念なことに日本語のフォントがありません。これではメイルをチェックすることが出来ません。最近のインドのネット事情はかなり便利になりました。多くの店はブロードバンドを採用し始めていますから速度はまずまずでイラツクことはありません。しかも観光客の多い場所ではGLOBAL IMEを入れていますから日本語の読み書きに不自由はありません。その多くは1時間20ルピーから30ルピーと値段の張るものではなく、通常の航空便で手紙を書くよりもはるかに廉価で済みます。一寸型の古いPCをいくつも並べて商売をしています。それぞれのデスクは仕切ってありプライバシーの保護に努めていますから、怪しげなHPを開くのも容易なことで、履歴を見るとそれらしきものが残っている場合があるのです。

さて、今日の宿は昨夜とは大きく異なり湖畔に面した宿です。冷房付が必要かなと思いましたが、バルコニーもついていますから結構風通しもよく必要なさそうです。嬉しいことにBARが併設です。料金も2人で275ルピーと格安です。何しろ政府系の宿泊施設です。正しくはYatri Nivasという名称で、ケララ州政府観光開発公社が直接経営しています。受付には若き女性が座って応対しています。インドでは珍しいことなのです。帰りは船つき場まで無料で送迎してくれるとのプレミアムもつきました。ああ何故昨日はここに直行しなかったのか悔やまれてなりません。最近政府系の宿泊施設は建物が老巧化しサービス面に欠ける部分が多いなど評判が良くないので部屋は以外と空いているようです。多少高くても新しい設備でサービス熱心な宿を好む中産階級が増加し、民間のホテル業界が急激に成長しました。民間ですから競争原理が働き価格もそんなに高くはありません。ちょっとした田舎町でも冷房付の宿を容易に見出すことが出来るようになりインドがここ数年で大きく変化したことを実感させてくれました。

手早くチェックインを済ませ、早速バーを拝見です。まだ12時過ぎだというのに威勢良くいくつもビール瓶を空にしています。しかもテーブルの殆どが客で埋まっています。いやはや商談しているのでしょうか?それにしても良く酒代を握っているものです。ウェイターは忙しそうにビールの栓を抜いて配達しています。栓を抜いて配る人、楽しそうに飲んでいる人、そして政府には税金が入ってくるでしょう。いとも簡単な仕組みです。効率が良く誰もが幸せになる空間なのかもしれません。ケララ州は比較的アルコールに対して寛容な州です。昔は隣のタミルナド州ではリカーパーミット(飲酒許可書)の制度がありました。外国人にはすぐ発行します。当時はこれがないと酒類の購入が出来なかったそうです。これを売り飛ばすことによって宿代一泊分が無料になるというユニークな方法があったものです。今でもグジャラート州は禁酒法が守られていると聞きます。

宿代は予想以外に安く納まったので夕食は町で一番立派そうなホテルのレストランに入ることになったのです。そんなややこしい品物を注文したわけでもないのにかれこれ30分ほど待たされて登場です。まあ冷房の効いた場所ですから文句も言えません。その間じっくりとインド談義で話が弾んだのは当然です。さてこんなようにして食事も宿も色々な場所を利用するのも旅の目的でした。概して高級、中級レストランでは注文してから30分ほど待たされるのが常識です。庶民の店では瞬時に登場すると言っても過言ではありません。しかも味も負けてはいません。出来たての美味しいものが提供されるのです。但しアメニティに問題がありというのが結論です。注意としては中級レストランといえどもインドで提供される中華料理に期待を持ってはいけないということです。中華料理はやはり専門店が望ましいようです。南インド人の手による中華料理は今ひとつ何かが異なるのです。まだしもネパール人やチベット人の作る中華料理に軍配が上がるのは当然のようです。

 

第六日目 峠を越えて隣の州へ

昨夜はぐっすりと眠ることが出来ました。湖を隔てて対岸が市街ですから騒音ゼロの快適な宿でした。約束通り朝の9時半過ぎに専用ボートでバス駅まで送ってもらいました。ちょうど運良く次ぎの目的地へのバスが目に入りました。乗車券は車内で発行とかですが、がら空きのバスです。10分もしない間にバスは出発という絶妙なタイミングでセンコーッタイに向かったのです。このバスは隣のタミルナド州の政府バスですから他の州に入ると何故か乗客が少なくなるのです。逆も又真なりでタミルナド州を走るケララ州のバスは同様に客が少ないのです。相互乗り入れをしているのですが、他の州のバスの世話はあまりしないようで例えばエルナクラムにあるタミルナド州のバス事務所は駅構内の隅にひっそりとあり良く注意しないとわかりません。よそ者が邪険にされるのはいずこも同じかも知れません。普通列車は朝の820分発で所要時間が4時間程度だそうです。バスは1時間に一本走行し所要時間が3時間とのことでした。

このバスは座席が2人と2人の4人がけで比較的ゆったりと過すことが出来るのですが、一般的にインドのバスは2×3人のシート配列になっています。政府のバスだけでは増加する乗客を裁くことが出来ないので、民間のバスも参入しています。派手な満艦飾のデザインを施し、車両によっては大きくDVD搭載ホームシアター付きのバスとして客の呼び込みに精を出しています。ここ数十年の間はビデオ付きの長距離バスが人気を博していたのですが、時代の流れとともにビデオテープはDVDに置き代わり好評を呈しているのです。市内バス、中距離バスにも搭載しているのがありますが、インドの感覚からすると何でも良いからガンガン鳴り物があればそれで満足ということでしょうか?バスは次第に山の中に入り爽快な風が心地良くほおにあたります。しかしバスが速度を落とすと暑い風に変わります。そんな高い峠ではないのですが、山を越えると隣の州です。日本でも日本海側と太平洋側では気候が大きくことなります。ここも同じ現象でしょうか?峠を越えるとやたらと雲が厚くなってきました。これならばしのぎ易いかも知れません。

バスを乗り継いで今日の目的地コータラムに入りました。滝があるので有名な場所ですが今は乾季で水量が少なく今ひとつ迫力に欠けましたが、それでもかなりの人でにぎわっていました。6月から8月がシーズンで森の中を通過した滝の水はハーブの<![if !vml]><![endif]>成分がふんだんに含まれて健康に良いと人々は信奉しています。やたらとマッサージを薦められるのもこの場所だからかも知れません。

今日の宿は一見旧家風の豪邸兼お化け屋敷でした。外見は古そうで立派そうなのですがあちこちにゴミが散らかっています。しかし部屋の中はTVもあり洋式トイレがあり床にはタイルが張ってあり結構手を加えています。天井が高いので部屋は涼しさがみなぎっています。今はシーズンオフなので客は他に誰もいないようです。全館貸切りの状態です。今日はこの宿で手を打つことにしましょう。早速荷物を置いてジャングルツアーの開始です。全長3キロほどのコースですが、森林浴を兼ねての散策は気持ちの良いものです。所々野生の猿が姿を見せています。奇岩が連なる中をせせらぎが静かに音を発しています。昨日<![if !vml]><![endif]>までは海が主体の旅でしたから趣向が変わって時には山の中も楽しいものです。

散策を終えて夜はどこかでアルコールが楽しめないものかと探し求めて発見したのが政府系の宿舎Hotel Tamil Naduでした。本館と別館があり別館にはバーが本館にはレストランがありそれぞれ一キロ程はなれています。どうもこれでは不自由でかないません。ビールと食事が同時に楽しめないものか交渉が始まりました。宿のスタッフは気持ち良く手配をしてくれました。この地域はヒンズー教徒の巡礼の季節でにぎわっています。この時期は肉料理を出したり、酒をたしなんだりするには気がひけるとの説明でした。用意してくれた瓶ビールはホットなビアー(冷えていない)でしたから、レストランにある冷蔵庫で数十分の間気持ちだけでも冷たくしてくれました。この宿もがらんとしています。私たちが注文を決定すると45人のスタッフが調理場に駆け込み慌しく準備にかかりました。わずか150ルピー(400円)ほどの売上に大人が4人がかりで奔走しています。オフシーズンの日本の宿に似た光景でにんまりとしてしまいました。

さて、気候は温暖で部屋にはTVもついています。窓を開けると自然の風が気持ち良く肌にあたります。そんな訳で深い眠りについたのですが…。はじめは何の音がわかりませんでしたが、早朝になってガタンガタンと妙な音が響いてきました。野生の猿が周囲のトタン屋根を駆け回り狂音を発しています。自然が豊かと感じても良いのですが、安息を破られたことには多少なりとも立腹してしまいました。

 

第七日目 ここが最南端!

今日は朝ゆっくりとスタートです。一日にバスを4回乗り換えてインド最南端の岬に到着しました。160キロの行程を4時間で順調に到達です。この地域は平野部で、人口過疎地域ですからバスは思い切りうなりを上げて快走していきます。市内にはいると人、自転車、牛車などの交通渋滞で速度はがたんと落ちるのですが、郊外に入ると70キロ程度に速度をあげることが出来ます。車両はオンボロ寸前ですが、要するに動いてくれれば良いという代物です。それでもメンテナンスはしっかりしているようで昔のように途中でパンクしたり、故障して動かないという件数は確実に減少しているようです。

ここインドの最南端は岬というイメージにふさわしく常に風が吹き荒れています。インド人にも人気ある観光地で貸切バスやバンで多くの観光客が詰めかける場所です。高級ホテルから安宿に至るまでいくつもの建物が並んでいます。観光地であれば当然のこと土産物屋も繁盛します。最近見かけるのは日本でいう100円均一の店です。色々なガラクタ類を5ルピー均一、10ルピー均一というシステムで販売するようになりました。昔は客と店員が駆け引きをしながらの買い物でしたが、今は様相を変えてしまったのです。品物を捌くにはいちいち値段交渉をしているわけにはいきません。商品も多様化しましたからいっそのこと均一制度にしたほうが効率の良いのは確かです。いよいよインドに大量消費の時代が幕開けなのでしょうか?と同時に公害問題も裏に背負っているのですが。最近のインドは中都市でもスーパーマーケット方式が目立つようになりました。いずれは日本のように小さな雑貨屋は次第にその姿を消していくのも時間の問題かもしれません。

宿に入って部屋の下見が始まりました。はじめは普通の部屋を案内してくれました。ついでにACの部屋も見せてもらったのですが念を押してくるのです。「停電になったら発電機が回るのだけどもACに機械には電気が来ないから覚悟の程を」それを承知で料金の確認ということでした。停電と言っても一晩中停電になるということはなさそうです。勿論それを承知で一泊700ルピーで合意です。案内してもらっているときは電気が来ていたのでエアコンは快適に作動していたのです。さて、食事を終えて散歩して戻ってくると停電の時間です。ああやっぱりということでしたが1時間ほどで停電が終了し再度快適な冷風の下でのんびり過すことが出来たのです。

岬を吹く風は夕方になるとピタリと止み蒸し暑さが盛り返して来ました。こんな時こそ冷たいビールが健康に良いということで町をぶらぶらです。地元の人に尋ね回ってようやく発見したのが中級ホテルに併設されているバーでした。その場所もレストランの奥を回り回ってホテルの地下一階に位置していたのです。内部は薄暗くTVがインド映画を上映していたのです。一見異様なムードで足がすくみましたが、別に悪いことをするわけでもありません。先客が既に乾杯をしています。向かい側には怪しげなカップルが睦まじそうに杯を重ねています。暗闇に目が慣れるとさほど悪くはありません。冷房も効いていますから快適といえば快適です。ビールにはおつまみが付いてきます。まあこれで今日の疲れが吹っ飛ぶかもしれません。

 

第八日目 コバラムビーチで乾杯

インド南西海岸に位置するコバラムビーチは最南端カンニャクマリから3時間ほどの行程で到着できます。昔から外国人旅行者にも人気のある場所です。今は海岸沿いに宿や土産物屋そしてレストラン、ネットカフェなどが乱立しています。おまけに遊歩道も整備されて一寸センスある光景をかもし出していたのです。今は観光客の一番多い季節とかで宿泊料金は高騰しています。そんな中を探し求めてたどり着いたのがバス停近くの中級の宿で冷房バルコニー付1000ルピーというのを値切って900ルピーにしてもらいました。外見は連れ込み宿風に見えたのですが、これは感覚の相違かも知れません。赤や青のガラスを貼り照明を当てると日本ではモーテルというムードですが、熱帯インドではこの方が涼しく感じるということで一種の演出にしか過ぎません。考え過ぎは禁物でした。宿のスタッフもはるばる外国からのゲストを手厚くもてなしてくれました。そんなわけで久々にルームサービスでも頼むことになりました。

インドでは冷房付といってもやはり確認しないと気がすみません。機器が正常に作動するか、停電になった場合はどうなるのか注文をつけるのが趣味になってくるのです。珍しくここのエアコンは日本で見かけるような静音タイプのものでした。これで一安心です。料金は少し張りましたが設備から言えば申し分ありません。それで早速ビーチ探索が始まりました。

海岸通りにはいくつもレストランが並んでいますが、その中のひとつにはいり小声でビールOKかと訪ねるとOKとのこと。ボーイが持参した瓶ビールは唐津のジャグに注がれ、残りは足元にこっそりと置いていきました。テーブルの上に置くとどうもまずいようです。後で領収書をみるとビールではなくPOPジュースと記入されていたのには笑ってしまったのです。正式に<![if !vml]><![endif]>リカー販売許可を持たない店はこうした抜け穴を用意してお客様を歓待してくれるのでした。外人客もチラホラ姿を見せていますが、どの店も同じような方法で歓待しています。浜辺で潮騒の音を聴きながらのビールは喉を潤して明日への行動力の源になったでしょう。こうして再び浜辺を散策。今日は日曜ですから地元のインド人も多く駆けつけ浜辺はごったがえしていたのですが、日没のころともなると閑散としてきました。

再びレストランに入って夕食を摂っているとインド製のおもちゃを売っている少年が近づいてきました。始めは不要と断っていたのですが、杉田さんは多少なりとも興味があるようです。いくらぐらいするものでしょう?当初の言い値は150ルピーでしたが値切りまくって80ルピーで落札です。彼らは地元ケララの人々ではなく、遠く北インドのビハール州からの出張販売のグループです。事の真意はわかりませんが、トリバンドラムに帰りたいのだけどお金がないから80ルピーでいいよという捨値でもあったわけです。そういえばエルナクラム(コーチン)で太鼓を売って歩く人々はUP出身で、アレッピーで見かけた笛売りも北インドからのグループでした。2500キロ以上も離れたところからシーズンをめがけての移動販売です。勿論単独ではなくグループで部屋を借りて節約しながら日々暮らしているようです。私が片言のヒンズー語で話しかけると大喜びしていました。こうなるともう交渉も容易です。2つ目の商品は掛け値なしの販売です。結局2点購入することになりましたが、全部で120ルピーですから300円です。今日はついている日だったのかもしれません。

 

第九日目 ちょっと風邪気味?

海辺の朝は爽快そのものです。朝食を摂り最後の見納めということで海辺の散策です。漁師が我々を日本人と見るとウニ、ウニとしきりに声をかけてきました。他にアジ、エビ、カニと日本語を連発してくれました。30200ルピーで船の旅はどうかという売り込みです。誰に聞いても同じ値段で共同戦線を張っているようですが、時に150ルピーまで値下がりすることがあるようです。どこの国にも掟を守らない人がいるものです。そんな彼らと他愛もない会話を楽しみ、ココナツジュースを飲み、赤いバナナを試食して最後のコバラムを楽しむことが出来ました。そろそろチェックアウトをして終点のトリバンドラムに向かう時刻になりました。今日は平日ですから混雑はありません。三輪タクシーが80ルピーでどうかと近寄ってきましたが、こちらは時間を持て余しているので急いで市内に入る必要はありません。彼らを丁寧に断ってのんびりと7ルピー15円支払って16キロ離れた市内へ移動です。

宿は以前からめぼしをつけていたシルバーサンドで駅裏にあります。地元の人もよく利用している中級の宿です。冷房付の部屋は2人で税金込み805ルピーとかでそんなに高い値段ではありません。設備も悪くはなくセンスの良いカーテンで日差しを遮っています。この宿も正解ということでしょう。宿のスタッフは私がタミル語を話すことに驚いていました。南インド四州は北インドのアーリア系とは異なった人種でドラビダ系と呼ばれています。その中で中心的な役割を果たしているのがタミル語です。隣のケララ州はマラヤラム語ですが、タミル語に非常に近いので彼らは話すことが出来なくても聞いて理解が出来るそうです。土地の言葉を習得すると地元の人々と一層親しくなれます。又間違いを防ぐのに両方の言語で確認を取るというメリットも生じます。南インドでも時々ヒンディ語で話かかられることがありますが、その場合は臨機応変にヒンディ語で応対をするものですから周囲の人々はあっけにとられるのが常でした。

コバラムからトリバンドラムまで約30分の市内バスを終えると宿までは15分の距離です。運良くこの州の学生文化祭幕開けでパレードが始まったばかりで主要道路は通行規制が敷かれていたのです。当初は三輪タクシーで宿へ直行する予定でしたが、パレードを楽しみながらかんかん照りの中をのんびりと歩くことになったのです。さて宿についてから急に杉田さんが体の不調を訴えてきたのです。どうも顔色が冴えません。朝の間は結構はしゃいでいたのですが…。熱を測ってみると38度近くまであります。微熱が続くと気分的に憂鬱になるものです。明日の出発を目前にしていますから午後からは休養の日となったのです。昨日の宿で冷房をガンガン効かせたまま眠ったのが原因かもしれません。

そんなわけで私が単独でトリバンドラム市内の散策です。飛行機の切符をもう一度確認したりインターネットで情報を仕入れたり、果物を仕入れたり…。ネットで各種情報を見ると中国で3人目のSARS患者が確認されたとのこと。昨年はパニックで中国をはじめシンガポールや台湾の空港などでは熱感知器を利用して乗客を厳重にチェックする光景が放映されていました。もしこれが再燃したら杉田さんの帰国は最悪の場合シンガポールで数日足止めを食らうかも知れません。何よりも早く熱を下げる工夫をしなくてはならないのです。夕方に熱を測ると39度を超えていました。日本の風邪薬を飲んでいたのですが、現地の風邪は現地の薬がベストということで荒治療になりましたが、強力な抗生物質(500mg)を8時間ごとに投与すると同時にParacetamol(鎮痛剤及び解熱剤)を6時間ごとに飲むことになりました。

幸いに食欲はまずまずあるということで宿に併設してあるレストランに毎回通うことになったのです。宿の人も多少は不信に思ったかも知れません。一人は部屋にこもったままで、一人はちょこちょこ外出している奇妙な2人組に映ったことでしょう。レストランはいつ見ても客の入った様子はありません。彼らにとっては我々が得意先になってしまったのです。連続して5回も利用していますから彼らにとってはサービス料としての収入も結構なものになります。いつも笑顔で対応してくれるのは良いのですが味に問題がありました。同じものを注文しても次に登場するのは以前と違った形態のものが提供されるのです。メニューには番号が振ってあり195番まであるのですが中華系料理などはめったにオーダーのはいることはありますまい。そんなものを注文すると決まって時間がかかるので先に注文をしてから20分後に又食堂に駆け込むことにしたのです。

エルナクラム(コーチン)とトリバンドラムを比較すると面白い発見があります。コーチンは商都でトリバンドラムは政治文化の象徴ということになるでしょうか?コーチン市内にやたらと銀行が多いのも頷けます。センスのよさはコーチンがはるかに垢抜けしているので近代的商店街を見かけますが、トリバンドラムは少し重い感じを受けてしまいます。港町を母体として都市が発達したケースはコーチン、ボンベイ、マドラス、カルカッタを挙げることができますが、カルカッタは港町というよりも河口に港が発達した点で異なります。マドラスは何もない浜辺を人工的に防波堤を築いて港町にした点で異なります。自然の入り江を背景として完成された港町というとコーチンとボンベイでしょう。その他に小規模ですがゴアもこの部類にはいります。ボンベイのように巨大でもなくどこかしっくりと味わいのある都がコーチンという結論になるのです。

 

第十日目 さて帰国

朝になって体温を測ると38.5度で一向に熱は下がろうとしません。しかし本人が言うには気分は良い方向に向かっているとのことでした。これでは最後の日に少し派手に豪華に食事をする企みどころではありません。使い残りのお金はまだかなり残っています。こうなると散財するにも一苦労です。お土産を買うにも本人が市内をうろうろするとたちどころに熱が盛り返して来そうです。結局私が代行していくつか希望の商品を購入してきました。いつもと同様に併設のレストランで軽いものを口にして投薬するしかありません。飛行機の出発は深夜1159分で空港へは2時間半前からチェックインするとのことでした。少し早いのですが、8時過ぎに宿の近くから三輪タクシーを利用して空港にむかいました。行きは85ルピーで帰りは65ルピーという適当な価格設定です。

空港内は警備の関係で乗客だけしか中に入ることは出来ません。まだ微熱を抱えたまま空港にむかったのですが、こうなると覚悟してもらうしかありません。運を天におまかせするのみです。無事シンガポール空港を通過できますように!

 

プロローグ

それにしても今回の旅は少々過酷過ぎたのではないかと内心どきどきしたものです。山あり滝あり川あり海ありのコースを10日間でこなしたのです。日本は真冬という環境の違いも大きく影響したかも知れません。食生活も大きく異なりました。杉田さんにとっては初めての噂に聞くインド体験でした。当初は元気が良かったのですが、終盤戦にてダウンしてしまったのが悔いに残ります。もう少し注意するべきだったかも知れません。しかし今回の旅は様々な体験を含んだユニークな内容には間違いありません。出来るだけ地元の人々と近い生活を楽しめたことはインドを知る大きな手がかりかと思います。南インドは10数年間に渡り数度訪問していますが、改めて新しい発見をすることが出来ました。大きく揺れ動くインドを確かめることにもなりました。1月の末からもう一組の友人を案内する予定が待っています。その前哨戦(下調べ)の役割を兼ねての旅でした。今後も気取ることなく自然体で眺めるインドの旅を創作していきたいと思います。それではそれではお疲れ様でした。

追伸:翌々日無事日本に到着し熱も下がったとのメイルを受けてほっと胸をなでおろしました。

 

雑感

最近インドを旅行して感じるのはゴミの問題です。ネパールでも同じように町のあちこちに大量のゴミが散乱しています。南アジアだけではなく世界的な問題として真剣に取り上げていく必要があります。

数十年前ゴミの排出量はプラスチック類など殆どなく、人々の生活も自然と順応したものでした。暑い国ではそれなりに、寒い国でもそれなりに、昔からの伝統的な方法で衣食住を営んでいたのは事実です。暑い国では食べ物が痛みやすくなるので香辛料を調合して腐敗を防いだり、塩と氷を利用した氷菓子を楽しんだりしていました。生活が便利になればなるほど排出されるゴミの量が増加するのは事実です。もしインドで各家庭が冷蔵庫を持つようになると、そのエネルギー消費量は膨大なものになります。いずれは寿命がくると粗大ゴミとして廃棄されますが、その分量も10億台という巨大な数字になり処理する場所を確保するにも一苦労するでしょう。所得が上昇すると自動的に購買力が増加します。生活水準の上昇といえるのですが、その裏には環境汚染が増大していることにつながります。

列車でインドを移動しているとスラム街らしき地域を通過しますが、そこはプラスチック類で行き場をふさがれた水溜りの連続で常に悪臭を発しています。最近のインドはプラスチック類の袋などを大量に消費するようになりました。使い慣れると便利この上ない商品です。最近そういったものを使わないようにとキャンペーンを展開していますが、なかなか浸透しません。レストランで食事をパックしてもらうと大小数点のプラスチック袋でパックします。以前は見かけなかった光景です。インドの商品も次第に簡素なものから高度な商品へとその姿を変えてきました。流通量も膨大に拡大しています。GNPは年率6%程度で上昇していますが、この勢いでいくと10年でほぼ2倍の生産力に達するということになります。それは同時にゴミの量も2倍になるという計算が成り立ちます。中国も同様に高い成長率を誇っています。

人類が音もなく忍び寄ってくるAIDSSARSに侵されていくと同様に、人類が排出する膨大なゴミは地球を大きな病に導いているようです。相対的には先進国の排出するゴミの量は地球全体の大半を占めているのも事実です。発展と環境保護をどのように両立させるか難解な課題が待ち受けているのです。

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