アジア旅日記 南インドPart.2 2004年
概要
今回神秘の国とされるインドを周遊することになりました。参加者は高齢(60歳台)となるので、出来る限り無理のない予定を組む必要があります。と同時にツアー旅行に見られるような高級ホテルめぐりばかりでは現地の実情を肌で感じることは出来ません。これをどのようにミックスし、安全かつ快適な旅を演出するかが課題となります。
内容
日程
|
VTI: Victoria Technical Institute(州政府系の工芸品店)
期間
2004年1月30日~2月14日(15泊16日)
メンバー
中嶋 明子
坂野 育子
干場 悟
費用(Ⅰ)ホテルリスト
日時 | 都市名 | ホテル名 | 設備 | 料金(Rs) | 料金 (円) | コメント |
1月31日 | チェンナイ | Hotel Pandyan | ACW TV | 1008 | \2,520 | まずまず |
2月1日 | マドライ | International Hotel | W TV | 273 | \683 | バケツでお湯が来る |
2月2日 | クムリ | Holiday Home | W | 300 | \750 | テラスと広い庭付き |
2月3日 | クムリ | Holiday Home | W | 300 | \750 | 同上 |
2月4日 | コーチン | Paulson Park | ACW DLX TV RG | 1092 | \2,730 | 朝食付 |
2月5日 | コーチン | Paulson Park | ACW DLX TV RG | 1092 | \2,730 | 朝食付 |
2月6日 | アレピー | Hotel Komola | ACW TV | 600 | \1,500 | エアコン故障で別室へ |
2月7日 | コラム | Yatri Nivas | W | 275 | \688 | 暑かった |
2月8日 | コラム | Yatri Nivas | ACW | 495 | \1,238 | 環境良し(湖畔の宿) |
2月9日 | コバラム | Hotel Shree Vishak | ACW TV RG | 800 | \2,000 | バス停近くバルコニー付 |
2月10日 | カンニャクマリ | Maadhina | ACW TV | 800 | \2,000 | 海の見える部屋 |
2月11日 | Train | AC 3Tier | 1300 | \3,250 | 2人分高齢者3割引 | |
2月12日 | チェンナイ | Pandyan Hotel | ACW | 1008 | \2,520 | まずまず |
2月13日 | Flight | 0 | \0 | |||
計 | 9343 | \23,358 | ||||
W: ダブル AC:エアコン TV:テレビ RG:冷蔵庫 DLX:デラックス |
費用(Ⅱ)勘定別グラフ
費用(Ⅲ)明細
タバコ | 通信費 | 食費 | その他 | 部屋代 | 交通費 | 合計 | ||
\467 | \179 | \19,704 | \8,320 | \29,235 | \13,856 | \71,760 | ||
CG | CM | FD | OT | RM | TR | 総計 | ||
1月31日 | 月曜日 | \53 | \0 | \683 | \453 | \3,088 | \269 | \4,547 |
2月1日 | 火曜日 | \27 | \40 | \1,512 | \67 | \1,248 | \3,360 | \6,253 |
2月2日 | 水曜日 | \27 | \27 | \1,317 | \27 | \1,333 | \432 | \3,163 |
2月3日 | 木曜日 | \27 | \0 | \1,245 | \1,120 | \1,333 | \120 | \3,845 |
2月4日 | 金曜日 | \27 | \0 | \1,288 | \267 | \3,885 | \835 | \6,301 |
2月5日 | 土曜日 | \27 | \0 | \1,096 | \907 | \3,885 | \179 | \6,093 |
2月6日 | 日曜日 | \53 | \13 | \1,048 | \0 | \1,880 | \523 | \3,517 |
2月7日 | 月曜日 | \40 | \0 | \765 | \2,453 | \1,320 | \1,400 | \5,979 |
2月8日 | 火曜日 | \27 | \0 | \1,587 | \0 | \1,907 | \213 | \3,733 |
2月9日 | 水曜日 | \27 | \0 | \2,107 | \53 | \3,067 | \496 | \5,749 |
2月10日 | 木曜日 | \53 | \0 | \1,547 | \0 | \2,800 | \312 | \4,712 |
2月11日 | 金曜日 | \27 | \0 | \787 | \80 | \0 | \5,211 | \6,104 |
2月12日 | 土曜日 | \27 | \59 | \4,003 | \67 | \3,088 | \107 | \7,349 |
2月13日 | 日曜日 | \27 | \40 | \720 | \2,827 | \400 | \400 | \4,413 |
合計 | \467 | \179 | \19,704 | \8,320 | \29,235 | \13,856 | \71,760 |
移動明細合計2088キロメートル
日時 | 移動距離 KM | 所要時間 | モード |
1月31日 | 20 | 40分 | 列車 |
2月1日 | 497 | 7時間40分 | 列車 |
2月2日 | 130 | 4時間 | バス |
2月3日 | 40 | ー | |
2月4日 | 170 | 5時間半 | バス |
2月5日 | 30 | ー | |
2月6日 | 130 | 4時間 | バス船バス |
2月7日 | 86 | 8時間半 | 観光船 |
2月8日 | 30 | ー | |
2月9日 | 90 | 2時間 | バス |
2月10日 | 102 | 4時間 | バス |
2月11日 | 743 | 16時間 | 列車 |
2月12日 | 20 | ||
2月13日 | 0 | 40分 | タクシー |
マップ
旅日誌
1/30
今日は長い一日になったそうです。航空券を購入するにあたりMH航空での特権を最大限に生かすように事前にネットで情報を仕入れて送り込んだのが奏をなしたようで、KLでの一泊が無料という特典を確保したそうです。しかし、初めてトランジットでホテルを利用するという経験で多少戸惑った部分もあったかも知れません。空港に到着してから宿に入るまで2時間程度待たされ不安になったということです。トランジットで航空会社の指定する宿を利用する場合は空港到着後待たされることが多いのですが、概ね1時間後には宿に到着できるのですが…。
バングラデッシュビーマンを利用してバンコクからカトマンズに向かう航空券は他社に比べてダッカ一泊無料招待が入り、安いことで人気があります。数度この便を利用したことがありますが、その手順を紹介したいと思います。
概してビーマンフライトは定刻に飛び立つことが少ないので有名です。夕方4時半出発の便は5時か5時半になることが多いでしょう。ダッカとヤンゴンの時差は30分ですが、飛行時間は2時間弱ですから夕方6時過ぎにはダッカに到着します。そのまま真っ直ぐトランジットカウンターに向かい、パスポート、航空券そして宿泊のバウチャーを提示し、引き換えに宿のトークンを貰います。航空券は返却してくれます。しばらくここで待つようにと指示をうけるのですが、概ね1時間ほど経過すると係員が入国管理事務所を素通りし、寄託荷物引取り場所(ダッカで荷物を引き出す旨チェックインした場合)で自分の荷を取り出し、税関も素通りしてそれぞれ指定された宿のバスに乗り込むことになります。トークンには宿の名前が記入されているのですが、宿によってサービスや設備が異なります。SANWAという名称の宿が今までの中で一番好ましくない宿でした。夕食は他に比較すると乏しいもので、食後のコーヒーも無理やり交渉してようやく提供するという状況でした。まあ夕食が始まるのは多くの場合は夜の9時か10時ごろになります。ビーマン社の場合はバンコクやカトマンズからの乗客はダッカを経由してヨーロッパに向かう客やバンコクからカルカッタへ向かう人など多くのトランジット客を抱えていますから比較的手馴れているようです。パスポートを預けたままにして一夜を迎えることになるのですが、全く不安はありません。宿が全てを掌握していますから勿論送迎も含まれています。食事もついていますからよほどの事がない限り両替の必要もありません。大概は翌日朝食後空港に向かい朝の便で目的地に向かう場合が多いようです。さて、宿のトークンを貰うときに自分の好みを指定することも可能です。特に前述したようにSANWAと書かれたトークンが手渡された場合は変更を申し込むのも手でしょう。空港の職員もそのことは知っていますからね。出発の際は出国税も必要ありません。しかし、以前ブルネイで乗り継ぎのためストップオーバーした場合は出国税6ドルを別途徴収されました。
さて、事前に日本からメイルでインドは場所によっては飲酒がしにくいかもしれないという情報を流していたので皆さんはそれぞれ高級ウィスキーを各自準備したようです。でもあれは結構重いものですね。本体は1リットルで1キロほどありますが、他にガラス製の便が重量を追加してくれるようです。
話によるとマレーシアでは空港からトランジットの宿までは高速道路を2時間ほど走ったそうです。ダッカの場合は空港周辺の宿を利用するケースが多く20分ほど走ると到着となります。さて明日は無事再会出来るものでしょうか?
1/31
飛行機の到着予定は10時40分です。マドラスは数年前に名前を変更してチェンナイとなりました。インド各地に国際空港があるのですが、貧乏旅行者にとってはこの町へのアクセスが一番容易なのではないでしょうか?何しろ空港の前には市内への列車が早朝から深夜まで運行され、料金はわずか7ルピー(15円)で安宿街に到着できるのが便利です。南インドはボンベイやデリーに比べると物価も安く、宿は100~150ルピーも出せば快適な部屋を見出すことが出来ます。そして何と言っても人々が北インドに比べると非常に穏やかで陽気さを感じます。
KLからのMH180便はほぼ定刻に到着です。今回は多少値段が高くついたのですが、MH航空を利用して正解だったかと思います。エアーインディアが日本とインドを結ぶ路線で一番安いのですが、多くの便はデリーやボンベイで乗り継ぎとなりますから、チェンナイの到着が深夜の3時ごろになったりします。又時々機材の都合で遅れたり、搭乗時のチェックが厳しかったりするのが難点です。やはりMH便は南インドの旅には一番便利かも知れません。以前はチェンナイ到着が夜の9時ごろで日本を出発して同日に到着が可能でしたが、最近は全てKL出発が朝となりました。
さて、1時間ほど待って久しぶりの対面です。日本は冬で、ここチェンナイは真夏の太陽がさんさんとしています。一日でこれだけ気候の異なる場所にくると体調が崩れがちです。さてこれからどんな旅が始まるものでようか?
空港から市内へはタクシーを利用すると200から250ルピーが相場です。空港の外からオートを利用すると150ルピーという方法もあります。一番安いのはやはり列車で市内へ移動する方法です。幸いに予約したホテルは駅から歩いて5分程度の距離にあります。昨日はKLのホテルで一泊していますから、疲れてはいないでしょう。そんなわけで荷物を抱え列車を利用することになりました。しかし鉄道駅に行くには交通量の激しい国道を横断しなければなりません。日本だと横断歩道か陸橋があるのですが、ここには、そんなものがありません。まあ皆で渡れば怖くないといいますか、数人集まったところで全員歩調をあわせて横断するというのがこの国での道路の横断方法といえるでしょう。日本の駅に比べるとずいぶんと見劣りする駅です。車両は傷だらけ、錆だらけでまるでポンコツの鉄箱に乗るに等しいものです。でも値段が値段ですから苦情の出しようがありません。車内には様々な顔ぶれが勢ぞろいしています。携帯電話で話しをしているビジネスマンも見かけます。ということは値段が安い乗り物には金持ちも利用しているということです。我々が乗り込んでも不思議でも何でもありません。一般的に日本のツアーに参加すると、こういった乗り物を利用することは皆無でしょう。ピカピカに磨かれたハイヤーか何かが空港で待ち構えて歓迎してくれるのが相場です。しかし、それでは、インド大都会の本当の姿を感じ取ることが出来ません。町のにおい、埃っぽさ、騒音などは完全にシャットアウトされ無味乾燥の旅を続けることになるのです。インドに来たからには出来るだけ体で味わう旅を設定したいものです。
チェンナイ中心部と郊外のタンバラムを結ぶ郊外路線は日中頻繁に運行していますから10分も待つと次の列車がやってきます。日本から到着したばかりの人々には衝撃の郊外電車だったかもしれません。線路に沿ってゴミが散乱し、スラム街が目に入ります。鉄橋にさしかかると異臭が漂います。車内はペンキが剥げ、ごみが散乱しています。そんな中を人々は何の抵抗もなく乗り込んできます。現地の人にとってはこれが日常の一環なのです。外部の人が異常な世界という認識を抱え込んだだけなのです。こうして無事列車は目的地のエグモールに到着したのです。
さて、駅から歩いて数分の距離にあるパンデヤンホテルは中級の宿でエアコンの部屋もあります。(パンデヤンという名前は南インドの王国の名称です。)二人で1000ルピー(2000円)程度の部屋を確保することが出来ました。この南インドの多くの宿はチェックアウトが24時間制になっていますから、利用の仕方によっては随分とメリットがあります。日本のホテルのシステムは10時チェックアウトで4時チェックインなどいう制限があり、日中の部屋を利用することは殆どありません。しかし南インドのシステムでは散歩に出かけて戻ってから又冷房の効いた部屋で一休みし、英気を養って又活動するという便利さがあります。しかも部屋代はダブルとなれば2人分の料金です。日本に比べるとまだまだ安いインドのホテル事情です。そのほかにロッジと名のつくものがありますが、多くのロッジは簡素な作りで単に宿泊する部屋があるのみで料金もぐっと安くなります。冷房などはないのですが、南インドの大都市では150ルピー以内で快適な宿を探すことは容易です。そんな訳でまずは宿で一休みすることになりました。
坂野さんを伴って市内バスで飛行機会社に向かいました。都市によって異なるのですが、チェンナイでは市内バスは左側が女性専用席になっています。車両によっては前部が女性で後部が男性になっているものもあります。見知らぬ男女が同席することは決して出来ないのが南インドの市内バスです。外国人といえども例外は認められません。離れ離れに席を確保することも珍しくありません。バス路線は複雑ですが、地元の人に聞くとすぐに答えが返ってきます。まあ無事切符の再確認を済ませ再び宿に帰宅です。
夕食まではまだ時間がありますから、サーカスを見に行くことになりました。新聞を開くとこのページを切り取って持参すると大幅な割引をするという広告が目に入りました。一番良い席で一人75ルピーが50ルピーになるという仕組みです。これを逃す手はありません。早速これを持参したのは言うまでもありません。タイミング良く今始まろうと言う時刻に到着です。インドのサーカスは何となくコミックなものが多く、これでもかこれでもかという感じで色々な出し物を次々と見せてくれます。童心に帰る2時間半でした。最近はTVで色々なシーンを見る時代で、少々の事では私達は感嘆することが少なくなりました。インドのサーカスはこれと言って衝撃的な見世物はないのですが、その雰囲気と料金の安さが魅力です。インド映画では普通太めの女性が人気なのですが、このサーカスでは小柄で若い女の子が主体でした。顔つきもどちらかというとモンゴロイド系が多く見受けられます。
2/01
南インドの中でタミル州は一年を通して夏です。一般的に人々は夜行バスや列車で移動するのを好みます。バス駅周辺は24時間乗客で賑わっています。太陽が昇り9時を過ぎるとじわじわと暑くなってきます。観光をするなら朝の涼しい間に済ませるのが無難です。そんなわけで朝食を済ませてからマリーナビーチに出かけることになりました。ここには南インドのリーダーを祀った記念碑があります。夕方になると地元の人が夕涼みを兼ねて押しかけるのですが、今はひっそりとしています。マドライ行きの列車は12時25分の出発ですから、ゆっくりと花咲き誇る庭園を散歩です。
南インドの列車やバスは比較的時間通りに運行しています。北インドの冬は朝霧が発生し数時間の遅延は珍しくありません。バスは車体が古いのですが、今回の旅では故障で動かなくなることもなく順調に旅が進んでいました。最近は道路事情がよくなり、以前よりも所要時間が短縮されているようです。大きな町はバイパスを作り市街の混雑を避けて走ります。各地に跨線橋ができ踏み切りで長時間待たされることも少なくなりました。しかし、今日のインドの経済成長は7%という高率で推移しています。交通量や人の移動も同じように伸びていくことでしょう。これは10年で2倍に膨れ上がるということですから、10年後には再び渋滞になるでしょう。日本の高度成長期に似た光景を各地でみることが出来るインドです。
初めてACチェア-カーというものに乗りました。今までインドでは通常の席を利用していたのですが、今回は特別に冷房車両というものを始めて体験したのです。冷房車両は値段が通常の2.5倍ほどしますから、インドでも上流階級の人々しか利用出来ません。今までと異なり車内は清潔そのものでゴミの散乱の仕方が違います。座席も比較的綺麗です。窓は密閉されているので騒音は皆無で静かに走っています。インドの列車がこんなに静かに走っているとは驚きでした。それに乞食や物売りが殆ど入れない仕組みになっているのです。列車に付属しているカテリングサービスの人だけが出入りしてスナックやコーヒーなどを販売しています。田園風景をたっぷり味わう8時間の列車の旅でした。
さて、マドライの駅前周辺には多くの宿が林立しています。高級から安宿まで選択肢も豊富です。そんな中で以前からめぼしをつけていた宿は残念ながら満室で、向かいの宿に宿泊することになりました。マドライは以外と涼しく、夜は冷房も必要がないようです。ダブルで300ルピーしない部屋を確保したのです。部屋代が安いのでその分は冷えたビールで乾杯ということで宿の向かいにあるBARの看板をめがけて進入です。薄暗い室内は満席の状態で賑わっています。今日も長旅お疲れ様でした。
2/02
インドは英国の影響を受けてモーニングティーの習慣が残っています。南インドでは少し形を変えてモーニングコーヒーとなるのですが、安宿によっては、朝早くからボーイがドアをノックして注文を聞いて回ります。勿論前の日に頼んでおくことも出来ます。向かい側にある茶店で3ルピーか4ルピーで買ったものを5ルピーで配達するのですから彼らにとってはこれがかなりの収入になるのです。朝の目覚めには丁度良いかも知れません。
この宿は築後25年経過していますから設備は多少改良しているのですが、配湯管まで手が回りません。ボーイに依頼するとバケツで暑いお湯を持ってくるのです。一瞬懐かしくなりました。バケツのお湯はかなり高温ですから、水で薄めなくてはなりません。適温になったお湯をひしゃくでジャブジャブ体にかけての沐浴です。日本の一昔前の行水にそっくりで思わずにんまりとしてしまうのです。
マドライはミナクシ寺院の門前町として、タミル文化の中心として栄えている所です。南インド特有の典型的なゴプラム(塔)形式寺院へは宿から歩いて5分ほどの距離です。いつも熱心な信者であふれ帰っているのです。東西南北にヒンズーの神様を掘り込んだ極彩色の塔が立ち、周囲は赤と白のストライブ模様の塀で覆われています。その中に石作りの建物があり、神様が鎮座しています。最奥の本殿はヒンズー教徒以外入室禁止という掲示があります。内部には博物館もあり修学旅行の子供達が熱心に観察していました。飼いならされた象は捧げ物を貰うたびに長い鼻で信者の頭を優しく一なでしています。そんな優しい光景が広がる寺院の内部です。
寺院観光を終えて宿を出発です。昔はマドライのバス駅というと鉄道駅周辺に一箇所あるのみでしたが、今は行き先によって5箇所に分割されました。人口が増加し、交通量が増大するに伴い一ヶ所では渋滞が激しくなるのは世界どこでも同じです。インド各地ではこのように新しいバス駅が郊外に出現しています。そんな場合は市内バスかタクシーを利用するですが、外人だとわかるとドライバーは知らぬふりをして高い値段を要求しますから、値切り交渉が始まるのです。「あんたは、ここで客待ちしていても一銭も金が入らないよ。私の言う値段でさっさと客を運んだほうが良いじゃないかね?」と現地語でまくし立てると反論することは出来ません。
タミル語を読むことが出来るのでバスの行き先やレストランのメニューはすぐに判別できますから便利です。南インドのバスは頻繁に出発しています。目的地への直行がなければ途中まで行って乗り換えをするのも方法です。どこへ行くにも待たずに乗れるという利点があります。車体はどれも古ぼけていますが、そのわりに故障も少なく事故も見受けません。マドライから目的地クムリへは140キロの道程を3時間半で到着しました。
ここクムリは標高1000メートルの高原に位置し爽やかな気候です。暑くもなく、寒くもなく快適に過せそうです。インドでの飲酒は州によって法律が異なり、南インドのケララ州は昔から西洋の影響を受けキリスト教徒も多く飲酒には寛容な州です。政府の許可を貰ったBARと看板のあがっている店では遠慮なく皆ビールやワインそしてウィスキーなどを楽しんでいます。タミル州ではこのバーというのは大概が薄暗く男衆ばかりが勢いよく飲んでいます。はじめて足を踏み入れるにはかなりの勇気が必要となるのですが、慣れると何の抵抗もありません。何となく隠れて飲んでいるという気分がお酒を一層美味しくしているのかも知れません。レストランによって頼めばテーブルにもってくるところもありますが、おおっぴらではないようです。そんな状況の中、クムリの町を歩いているとレストランの看板が目に入りました。しきりに客引きが呼び込みをしています。ビールが飲めるのか確かめてから入場です。席に着くとビールは何本いるのか注文を聞きに来ました。このレストランではビールの提供が禁じられているので外からの持込みは支障がないようです。そんな訳でウェイターに瓶を2本依頼しました。我々は仕切りを設けられた個室タイプの席に招かれました。これなら人目に触れることはありません。係りのウェイターは陽気な性格で新聞紙に包んだ瓶をさり気なく配達し、素早くドアを閉じて立ち去りました。事前に頼んだFried Vegetableは今までの料理の中で大正解でした。日本の天ぷら同様の味で翌日も通ったほどです。何かしら子供達が悪いことをするのと同じような気分はアルコールの度数を実際以上に高めてくれるものです。そんな楽しい夕食のひとときを過すことが出来ました。
2/03
さて、朝は寒いぐらいの気候でもう一枚長袖を着込む必要があります。鳥のさえずりが耳に心地よく響きます。そんな中で朝食です。レストランは同じ敷地にあり歩いて数分の場所です。既に先客が食事中でした。話を聞くとWest Bengal州からの研修グループで彼らはバンダルバンの野生動物保護区で働くレンジャーということです。この宿はグループ宿泊も可能なドミトリーも併設されています。椅子をテーブルがわりにして即席のガーデンレストランの完成です。鳥の声を聞きながら、花を愛でながらリッチな朝食をとることが出来ました。
朝食後は早速動物保護区へ出かけました。外国人は入り口で入園料として50ルピー支払います。丁度9時半出航の観光船が私達を待っていました。デッキはインドの新婚さんや家族連れそして外国人観光客などで賑わっています。二階の席は見晴らしもよく船は静かに航行していきます。そんな中でタイミング良く象の群れが湖を横切らんとする光景を見ることが出来たのです。船は朝7時半からほぼ2時間毎に運航されているのですが、野生動物ウォッチングの船ですから運の良し悪しに左右されるのも当然です。我々は幸運だったのかも知れません。船は一定の距離を置いてしばらくの間停泊し象の群れが完全に対岸に移動するのを見せてくれました。あの巨大な象は泳ぎが得意だったとは以外です。以前NHKのテレビで海を渡る象というテーマでドキュメンタリー番組がありました。これはインドのアンダマン諸島を舞台にしたストーリーでしたが、こうして本物を見ると感激も一層深まるものです。10頭ほど群れになり、小象は親象に挟まれて行動しています。心にジーンと来るものがありました。
午前中に観光を済ませて、午後はのんびりと市内散策です。インドの観光地はどこに行っても存在するのがカシミール人の経営する土産物屋です。どこに行っても同じようなパターンなので容易に判別することが出来るのです。まずその店構えが立派で結構良い品物を表に並べています。多くは絹のじゅうたんなどを飾っています。そして入り口が狭く一旦店に入ると何かを買わないと出にくくなるような作りになっています。店先にはいつも愛想良いカシミール人が声をかけてくるのです。彼らの販売する品物は地元の土産物に比べると精巧で良いのですが、商売上手な彼らは相手を見ながら暴利を貪っているようです。そうでないと立派な店構えをすることは出来ません。以前カシミールは観光地として栄えていたのですが、今はパキスタンを国境に控えていますから、観光客の数は激減しています。そのあおりを受けてインド各地に広くはネパールまで出張して商売をしているのが現実です。多くの場合は我々はそんな店を避けて現地のスーパーや雑貨屋で地元の生活に密着した土産物を求めるのが趣味になって来ました。今日はスパイスを多少買い込むことになりました。
2/04
今日は一日移動の日になりました。朝9時過ぎに宿を出発し、バス駅に着くとコーターヤム行きのバスは頻繁に出ています。待つこともなく待たされることもなく、駒を進めることが出来るのが南インドの旅かもしれません。ミャンマーに比べると快適な旅が約束されています。バスはしばらく進むと紅茶畑の中を走り、次第に標高を下げて行きます。次第に暑さが増していくのですが、これだけは防ぎようがありません。隣のタミル州に比べると平野部が少ないので道路はどうしても坂道が多く3時間半のバスは曲がりくねった山岳道路を急ブレーキをかけながら走行するので激しく左右に揺れました。無事コータヤムに到着したのですが、途中で前面を大破したバスを見かけた時は冷や汗が噴出したものです。ここで一休みしてから、又バスの旅です。コータヤムとエルナクラムの間は民間のバスが15分間隔で発車していますから急ぐ必要はありません。始発からの乗車ですから、席を確保するのは容易です。4時前には今日の目的地エルナクラムに到着でした。
今日の宿は少し張り込んでデラックスルームの利用です。広い部屋には冷蔵庫もあり冷房がしっかりと効いています。受付の女性も明るい笑顔で迎えてくれるのが嬉しいものです。安宿ではこんな体験は出来ません。しゃれたガーデンレストランも魅力です。ここでは2日間休憩を兼ねてのんびりすることになりそうです。
港町コーチンの夕暮れはサンセットクルーズなる湾内一周の観光船に人気があります。我々も早速乗船です。切符売り場では5時半出航ということでしたが、なかなか乗客が集まりません。船が動き出したのは6時過ぎです。向かい側には現地のケララ人が4人座っていました。はじめは彼らは舳先にいたのですが、我々の姿を見るとじわじわと興味深そうに移動し、向かいに陣取ってきたのです。その中の一人が自己紹介です。好奇心たっぷりの表情で質問してきます。といっても話の内容は至って単純で名前を聞いて、国を聞いて職業を質問して終わるのが常です。彼らの話によるとMILMA(ケララ州のミルク公団)に勤務していて今日は集会があるのでここにやってきたそうです。立派な髭を生やした屈強そうな男衆が遠慮深そうに我々にアプローチする姿は南インドの人々を良く映し出しているのではないでしょうか?船は大きなスピーカーでインドのポップソングをガンガン鳴らしながら出航です。ゆっくりと湾内を周遊している間に夕日を堪能することが出来ます。桟橋に帰り着くころ、街はイルミネーションできらきら輝いていたのは言うまでもありません。今日も美味しくビールが飲めそうです。
2/05
昨日はぐっすりと休むことが出来たようです。今日は水上バスに乗ってコーチンの要塞(元植民地の跡)を観光することになりました。港町コーチンは幾つもの島があり、島から島への移動はバスよりも船が便利です。市内バスの感覚で主要な場所を結んでいますから不自由はありません。朝晩は通勤や通学の人で満員になるのですが、交通渋滞もなく、スイスイと進んでいきます。コーチンは昔からポルトガルやオランダが砦を築きあげ重要な貿易の基地として発達した街です。バスコダガマの墓をはじめ今でもあちこちに教会や当時の面影をとどめる建物が残っていますから、楽しいものがあります。ユダヤ教の教会もあり、通称チャイニーズ・フィッシィングネットという漁法も盛んです。ケララ州の海岸沿いにはイスラム教徒を中心とした町も幾つか見受けることが出来ます。ここコーチンは古くから多くの文化が混ざり合い同じインドでもこざっぱりとした印象を受けるのは私だけでしょうか?それに比べると内陸部のベナレスは市内にイスラム教徒もいるのですが、ヒンズー教の聖地ベナレスという勢いに押され、町はヒンズー色一色の世界です。慣れない人にとっては、どぎもを抜かれるような印象を受けるでしょう。ベナレスで洋装の女性を見受けることはまずありませんが、ここケララ州ではブラウスを纏った女性の多いのが目に優しく映ります。
人口のわりに国際空港が多いのもこのケララ州です。州都トリバンドラムそして商都コーチン、そしてもうひとつカリカットという街に国際空港があり、アジア諸国や中近東を結んでいます。他の州に比べて英語教育が進み通常の会話には英語で不自由することがありません。それでも、オートリキシャと交渉しているときには決まって周囲で英語が達者な人が出現して仲介してくれます。これが、内陸の州になると一苦労です。地元の人々はヒンズー語しかこの世に存在しないかのような態度ですからコミィニュケーションを取るのに一苦労する場合が多いのです。そんなわけで南インドの旅は快適に続けることが出来るのです。行き交う人々の中には中近東で出稼ぎをしていたという人も多くいます。インド色の濃厚な場所と言えばやはり内陸部のUP(ウッタルプラデッシュ)やビハール州を挙げることが出来るでしょう。
このフォートコーチンにはいくつかの洒落た店があります。その中でKasi Coffee Shopは雰囲気が良くて美味しいコーヒーを提供していることで有名です。店内には地元の画家による絵が飾ってあり、ロック調の音楽が流れ、インドにいることを忘れてしまいそうな空間です。ここで昼食を取り宿へ帰りバスを利用し宿で休憩です。
宿の付近に差し掛かるとタイミング良くマドライで出会った日本の女学生に再会です。彼女は卒業旅行とかで一人でインドの旅にやって来ました。初めはマドラスの茶店で偶然あったのがきっかけで色々な話が弾みました。一昨日KLを経由してマドラスにやってきたそうで、これから2週間ほどかけてインドを回るという計画です。こちらの計画と彼女の計画が合致する場所で再会を試みたのです。前回はマドライの駅で、今回はエルナクラムの宿でという約束がありました。旅人同士の約束はおうおうにして約束していても色々なハプニングがありうまくいかないことが多いのですが、彼女との再会は二度とも当たりでした。小柄な体ですが、インドの旅を満喫している様子でした。再会を祝して部屋に招待し冷えたビールでおもてなしをしたのは言うまでもありません。お土産にカタカリダンスもご招待ということになりました。
2/06
宿と駅の距離は歩いて5分もかかりません。午前10時半にはアレッピー方面に行くローカル列車があります。駅周辺に宿を確保するとこうった場合に、時間までゆっくりと宿でくつろぐことが出来、大変便利が良いものです。しかもタクシーにとっては復路も客を確保できるので乗車拒否されることはまずありません。これが郊外の一軒宿ともなると往復の分を請求され高くつきます。今回の宿の選択は大正解だったのです。列車はがら空きの状態で出発です。混雑皆無のインドの普通列車はまれですが、使い方によっては安くて、渋滞もなく快適な旅をすることが出来ます。57キロの距離は一時間強の旅で一人14ルピーという無料同然の価格でした。
11時過ぎにはアレッピーの駅に到着です。早速オートリリキシャで宿に向かいました。冷房付の部屋はこじんまりとした内装で落ち着いた雰囲気があります。部屋をチェックして冷房装置を点検するとどうもファンだけしか動いていません。係りが修理に必死になり、色々と点検していますが、すぐに直りそうにはありません。故障が直らなければ他の部屋に変更して欲しい旨を伝えて昼食を兼ねて散歩です。
午後のコースは2時半の船でコータヤムまで2時間半の水上バスの旅を楽しみバスで再びアレッピーに帰る計画です。のんびりとした田園風景の中を水上バスはあちこちの桟橋を経由しながら進みます。地元の人が街へ買出しにいったのかもしれません。袋には食料らしきものが沢山詰め込まれています。そんな日常生活の一端を垣間見る旅も楽しいものがありました。帰りは特急バスで1時間の行程でした。
宿に帰ったものの冷房は結局故障したままで、部屋を引越しすることになりました。今度はガンガン効いていたのですが、ベッドが3つ、大きな赤いソファーがひとつ、そしてテレビが3台という何か妙な部屋です。タリフを見るとこれはどうもファミリィルームのようです。それにしてもTVが3台置いてあるのには驚きでした。勿論2台は映らないのですが…。
2/07
朝10時半にコラム行きの観光船が出発する船着場までは歩いて10分の距離です。80キロを10時間かけて水郷地帯を走る観光船は内外の観光客に人気があります。時にはインド人の集団と乗り合わせることがあります。今回は10人ほどのインド人観光客のほかは外国人で50人ほど乗り込んで出発です。そんな中で日本人が5人、韓国人が4人残りは西洋人という顔ぶれだったでしょう。
運河の中をゆっくりと進む船は贅沢な乗り物かも知れません。終日(10時半から18時半)船に揺られるのみです。時は金なりという諺が転じて日本では新幹線はどんどん速度を更新しています。時にはこういった時間の使い方も必要なのではないでしょうか?速度が上がるに連れてエネルギーの消費量が増大し環境破壊を導くのは事実です。猛烈な速度で推移する社会では精神的な疲労も増大します。それを癒すために時にはこんなのんびりした生活を求めるということに大きな矛盾を抱えながら我々の生活が続いているようです。
2/08
今日もここで宿泊冷房が効いて快適。夕方雨に降られました。買い物に走る。アクセサリーの掘り出しものスーパーマーケットの出現海に出る
昨夜は冷房付の部屋が既に埋まり確保できませんでした。湖畔にあるといえども風がおさまると蒸し暑さがぶり返してきます。今日は運良く冷房付の部屋を確保することが出来ました。散歩に出かけても部屋に帰ると冷房の効いた爽やかな部屋で過すと又出かけようという気分も湧いてきます。対岸にある商店街へは、依頼すると20ルピーで専用ボートが送り迎えをしてくれます。今日は買い物の日になったのですが、日曜なので一部しか開店していません。
コラムという街は小さな地方都市ですが、こぎれいなレストランやファーストフードの店を多く見かけることが出来ます。そんな中でスーパーマーケットの買い物も楽しいものがありました。食料品だけでなく日常雑貨も販売しています。私達には何に使うのが不明な品物が並ぶのですが、それを想像するのも楽しいものがあります。日本では見かけなくなったレトロ調の小道具を発見することもあります。今回は女性が額につけるシールが目に入りました。こういった商品は発見したときに思い切って買わないと後で後悔する場合が多いものです。その他のアクセサリーなど日本では数倍もする品物が入手出来ます。しかも定価販売で安心して購入することが出来ます。
コラムの海岸は夕方になると夕涼みを兼ねて地元の人が押しかけます。昨日は船の中からココナツ林に落ちる夕日を見ることが出来ましたが、今日は雲が多く荘厳な夕日は期待できません。運良く早めに引き上げたのが幸いでした。レストランに入るころはポツリポツリと雨が降り出したのです。しばらくすると激しい雨が降ってきたのです。このスコールで気温は急激に下がり過しやすい夜になったのです。帰路はオートリキシャを利用したのですが、期用にビニールシートで出入り口を塞いでの走行です。雨にも負けず庶民の乗り物は強い味方となりました。
2/09
2日間同じ宿に宿泊したので疲れも取れ元気一杯になりました。この勢いでコバラムビーチへ一気に突進です。途中通過するトリバンドラムはケララ州の州都で幾つか見所があるのですが、インドの都市部は交通量も多く騒々しいので疲れるばかりです。我々にとっては田舎や海岸そして高原がお気に入りです。70キロの道路は比較的整備が行き届き、バスは猛スピードで国道を走ります。国道といってもインドの場合は歩行者、自転車そして牛車を含めて雑多な乗り物が行き交う場所です。そんな中を運転手はこれでもかこれでもかというぐらいに追い抜きゲームをしながら走行します。バスの最前列に乗るとジェットコースターに乗っているような快感を味わうことが出来るのです。
バスは無事トリバンドラムに到着しました。ここから16キロ先にインドの名勝地コバラムビーチがあります。丁度昼ごはんの時間ですから、一休みを兼ねてKTDC(ケララ州政府観光局)の運営する高級ホテルに立ち寄りビュッフェを体験することにしたのです。値段は一人44ルピーですから日本円に換算すると100円程度です。ビュッフェということで肉や魚が食べ放題でコーヒーも飲み放題かなと思ったら大間違い!ベジタリアンのビュッフェでインドスタイルのライス・アンド・カレーの食べ放題でこれという目ぼしいものはありません。小食の人にとっては赤字になるのがここのビュッフェでした。
さて、ここからはオートリキシャを利用してコバラムに向かいます。バスもあるのですが、500メートル離れた市内路線専用のバス駅に行かなければなりません。複数で移動する場合オートリキシャは以外と便利な乗り物です。小型三輪ですから小回りが効きキュッキュッと障害物を避けて通ります。大きなバスやトラックの中をスイスイと掻き分けて進んでいきます。こんな場合はいつもヒヤリとするのですが…。15分ほど走ると緑豊かなココナツ林に出ます。そこを海岸めがけてまっしぐらに進んで行きます。とうとうコバラムに到着しました。前回宿泊したバス停近くにある宿に直行です。宿代金は前回に比べると100ルピー安くなって冷房付ダブルのはやは800ルピーです。クリスマスや正月がピークになるそうでシーズンオフにはホテル代が半分になるそうです。バーも併設玄関には守衛が人の出入りをチェックしています。
道路を挟んで向かい側にローカルの食堂があります。部屋のテラスからはじっくりと観察していると面白いものがあります。冷房付の部屋は熱線遮断ガラスになっていますから、外側から内部は見えません。道路に面しているからと言っても夜も8時を過ぎると静かになりますから睡眠の妨げにはなりません。海岸へは歩いて5分の距離です。宿に着いたのが2時過ぎですから、一休みしてから付近の散歩です。このビーチは昔からインドで有名な場所ですから、海岸線に沿って中級の宿が乱立しています。レストランや土産物屋そしてインターネットショップなども看板をあげていますから、旅行者にとって不自由はありません。ここはゴアと並んで昔からドラッグが入手しやすくヒッピーの集まる場所として有名だったのですが、最近は取り締まりが厳しくなったようです。
今宵は波の音を聞きながら取れたてのカニで乾杯です。沖に光を連ねる漁船の影をみながら夕食です。勿論このレストランは酒類販売の免許を持っていませんから、メニューには掲っていませんが、頼めば準備してくれます。請求書にはPOPジュースと書き込んであるのが印象的でした。
2/10
コバラムとインド最南端のカンニャクマリは100キロほど離れていますが、交通の便が良くトリバンドラムを中継地点として頻繁にバスが運行されています。今日は今回の旅の最終目的地カンニャクマリへの移動です。明後日の列車は夕方4時半出発です。ということはあまり早くチェックインして夕方まで部屋を利用することになると追加料金が必要になりますから時間調整が必要です。そんなわけでゆっくりとカンニャクマリに向かい、宿に到着したのは3時半過ぎでした。宿も心得たもので多少の延長は問題がないようで、翌日は4時前まで部屋の冷気を思い切り吸い込んで出発することが出来たのです。
ここカンニャクマリは隣のコバラムとは大違いでインド的な雰囲気で満ち溢れていました。別名ケープコモリンとも呼ばれるインド最南端の岬は風が吹き荒れています。インド人にとって一度は訪れたい場所の一つで、ここからは海から昇る朝日と、海に沈む夕日を見ることに人気があります。朝日が雲の隙間から姿をのぞかせる10分間の光線にはパワーが宿り、これを拝むと幸せになると信じています。一年を通して観光客が絶えることはありません。彼らは旅に出ると必ず記念として土産物を買う習慣があります。海岸通りには土産物屋が軒を並べ繁盛しています。
2/11
今日は夕方まで時間がたっぷりあります。朝の間に最南端の端に位置するビヴェカアーナンダ・ロックを観光しました。ここへは中型の鉄鋼船が運航しています。潮風で錆だらけの船はインド人観光客で賑わっています。島までは300メートルほどの距離なのですが、波が高いので頑丈な鉄鋼船が似合います。朝8時から夕方4時まで運行されるこの船に乗ってみるとまるで難民船に乗り込んだ印象を受けます。10分もかからずに島に到着です。インドの乗り物は見かけはみすぼらしいのですが、必要な設備というか、最低限の安全策は確保されているようで、船内には救命用具も設置されています。乗船者が過剰にならないようにカウントしながら客は乗り込みます。あとは運を天にまかせるしかありません。島はゴミ一つ散らかることもなく、きれいに整備されています。島に渡って岬を眺めるのも情緒があるもので、インド最南端の気分をしっかりと味わうことが出来ました。
午後は列車の発車まで休憩です。近くの茶店で一休みしていると隣にバスの運転手が話しかけてきました。最近インドではデラックスバスが民間の手で運行されています。運転手の給料は一晩運転して150ルピーの収入があるそうです。一月に22日仕事をするそうですから、3300ルピーで家族を養っていると聞きました。最近はこの物価高で働けど働けど楽にならないというのは世界共通かも知れません。
夕方4時前にチェックアウトをして車で駅に向かいました。駅までは歩いて15分ほどですが、列車が16両編成という長いものですから、駅から目的の車両に到達するまでが時間がかかったのは言うまでもありません。列車は定刻通りにマドラスに向かって発車したのです。
2/12
列車は15分ほど遅れて終点チェンナイ・エグモール駅に到着です。早速以前利用したパンデヤンホテルに直行です。ここならタクシーの利用も不要です。今日一日は買い物の日です。
予算もまだまだ余裕がありますから、思い切り贅沢をすることが出来るのですが、貧乏症なのでいざとなると思い切ることが出来ません。マドラスは名前を変更してチェンナイとなっています。シンガポールやマレーシアには今でも多くのタミル人が住んでいます。英国植民地時代にプランテーションの労働者として多くの移民を生み出し、マドラスとマレーシアを結ぶ客船も運航されていました。船に代わって飛行機が頻繁にマレー半島と南インドを結んでいます。それも、南インドではマドラスだけではなく、インドのシリコンバレーを呼ばれるバンガロールや、コーチン、ハイデラバッドなど各地がマレー半島と結ばれることになりました。今年からはバンコクとマドラスの間もタイの飛行機会社が参入し、選択肢が広がり旅もしやすくなったのです。
マドラスのショッピングセンター「スペンサープラザ」は全館冷房であらゆるものが揃い両替商も軒を並べています。あたかも、シンガポールに来たかのような気分です。ここでゆっくりと品定めです。今後はこのような場所がインド各地に広まることでしょう。交通量の多い交差点には警察官が見張っています。婦老女子が横断しようとすると、手信号で誘導してくれるのが嬉しいサービスです。安心して道を歩くことが出来るのです。
買い物もほぼ終了したので、隣にある五つ星のホテルでテータイムとなりました。高級ホテルは格調が高く、豪華そのもので快適な空間を与えてくれます。ここでコーヒー三人分とピザを一皿頼んで600ルピーですから日本円では1500円ということです。街角のお茶屋でコーヒーを飲むと一杯4ルピーほどですが、ここでは税金を含めると90ルピーになります。何と20倍以上も開きがあるのです。宿泊料は2人160ドル程度と表示があります。インド旅行は色々な選択が出来るということに特徴があり、それぞれのグレードに身を置くことで、他の国では味わえないものを発見できるのです。
2/13
あっと言う間に2週間が過ぎました。長期に渡る旅は年齢を重ねるほど体調の維持は難しいものがあります。今回も盗難や交通事故などに会う事もなく無事終了ということでしょうか?それとも持参したオールドパーがインドの雑菌を退治してくれたのでしょうか? 宿でオートリキシャを依頼して空港へまっしぐらです。色々な宿に宿泊し、様々な人に出会いました。荷物には数多くの土産物を入れ、心には土産話を積み込んでへの空港行きでした。飛行機は定刻通りの運行です。心にインド万歳を合唱してお別れとなりました。
2/14
昨夜はクアラルンプールでの乗り換えがスムーズにいったものか気がかりです。朝近くのインターネットカフェでチェックすると無事到着との連絡が届いていました。これでひとまず安心です。安堵の胸をなでおろしたのは無理もありません。多くの思い出を作ることが出来たのが何よりも最高のお土産になったものと思います。
教訓
- 旅の始めに現地スタイルを多くし、疲れが出る終盤に贅沢さを取り込む。
- 中級の宿も結構サービスがよい。部屋のチェックを怠ることなかれ。
- バスの旅は太陽の方角を定めて日差しを避けるように席をとること。
- 観光は欲張らず一箇所か2箇所ポイントを定めよう。
- AC3-Tier(三段冷房寝台車)は快適な旅。
- 60歳を超えるとインド国鉄はシルバー割引が効いて3割引になる。
エピソード
1.南インドの寝台車(冷房付)
初めて利用する冷房付の寝台車に胸がどきどきします。始発はインド最南端の駅カンニャクマリです。ここから745キロ離れたチェンナイまで約16時間の旅が始まるのです。列車は既に構内に入り私達を待ち構えていました。岬の村カンニャクマリはその名にふさわしくいつも風が吹き荒れていますが、一歩海辺から離れると南インドの猛暑が体を温めてくれるものです。そんな中を冷房車両に乗り込むとひんやりとして気持ちの良いものです。宿から駅までは一キロ程度なのですが、列車は16両ほど連結しているものですから長大なものです。しかも我々の乗り込まんとする冷房車両は先端のほうです。かんかん照りのホームの中を歩くのと、宿から駅までの距離が同じに感じてしまうのも無理もありません。さて、車内は清潔そのものでしかも毛布と白いシーツまでついているではないですか!車両はまんざら悪くはありません。3段寝台でクッションもほどほどの硬さで悪くはありません。窓は熱線防止ガラスで二重窓になっています。しかし外の景色が良く見えません。それではということで車外に出てガラスを拭いて見るとテッシュペーバーが真っ黒になりました。それでもまだガラスの曇り模様が消えません。どうも二重ガラスの内側が汚れているようです。これはもう手の打ちようがありません。まあ適当なところで妥協するしかありません。我々の座っている部分は外から見るとピカリと輝いていたのです。やはり日本人は清潔好みなのです。列車は定刻通りの発車です。今まではエアコンなしの寝台車でインド各地を移動していたのです。通常の寝台車は勿論予約制ですから普通の切符では乗り込むことが出来ません。南インドはまだ良いのですが、北インドの寝台車では普通乗車券のみで予約なしの乗客が勝手に乗り込んでごった返すことがあります。乞食も乗り込んで物乞いをします。車内にはあらゆるもの売りが出入りすることも当然です。床はしばらくするとゴミだらけになります。列車が動き出すと車輪とレールのきしみの音が高らかにゴーゴーとうなりをたててきます。それでも扇風機が天井から夏は熱風を冬は冷気を送り込んでくれるのです。そんな庶民の味がするのとは大きく異なった空間がインドのエアコン車両です。しかも料金が異なると客筋も異なってきます。多くが一見ビジネスマンという感じで携帯電話を一刻も話さずに構えています。時々着メロが車内に響き渡ります。金の飾りものをさりげなく纏った体格の良いご婦人方とか良家のお嬢様などがこの列車の客層なのです。始発は2割程度しか席は埋まっていません。3時間ほど移動してトリネリベッリという町から一人の紳士が乗り込みました。我々と同じ列なのですが、初めてお目にかかる日本人の姿に驚いたようで遠慮深く隅っこにひょっこりと腰掛けていました。夜の10時過ぎにマドライに到着してから北インドとおぼしきグループが我々のとなりに入ってきたのです。料金は冷房なしの寝台に比べると2.5倍ほどするのですが、60歳以上になると3割引となり通常の寝台車の2倍の出費で済むことになるのです。なかなか嬉しいサービスではありませんか?お年寄りを大切にしようという習慣は今でも残っているのでしょうか?最高時速100キロほどは出ていたでしょう。GPSが軌跡をしっかりと描いてくれました。南インドの列車はバスより早いのですが、駅での停車時間が長いので標定速度はガタンと落ちてしまうのが難点です。主要な駅で大体20分程度停車します。先日友人がチェンナイとマドライをバスで移動したのですが、ほぼ9時間で到着したとのことです。人気ある特急列車ワイガイは8時間の旅でした。最近インドの道路網は大きく改善され、あちこちにバイパスを設けたり道幅を拡張したり、立体交差で渋滞緩和に努めています。民間のバス会社は新車を投入してサービスしています。バスの場合は数箇所でトイレ休憩と食事の休憩を取りますが、停車回数が少ないのと停車時間が短いので目的地には意外と早く到着するようになりました。しかしインドは年率8%という数字であらゆる分野が伸び高度成長真っ盛りの時期です。10年もしない間に再び道路は車で溢れ渋滞を繰り返すことになるのではないでしょうか?
2.スペンサープラザ
ここ数年間の間にインドの経済は高度成長期に入ったかのようで各地に中級クラスのホテルが乱立し、しゃれたショッピングセンターが週末ともなると活気を呈すようになりました。それはあたかも30年前にタイの首都バンコクを訪問したことを思い出させてくれました。当時バンコクではタイ大丸という百貨店がオープンして地元の人々はウインドウショッピングと冷気を求めて殺到していたのです。市内にはボロボロで今にも壊れそうな市バスが運行していたのです。現在は幾つもデパートやしゃれたショッピングセンターが市内各地に展開していますから珍しくも何ともありません。一年を通して暑い都市バンコクで涼を求めるにはデパートに入るか高級ホテルのロビーで一休みするかのどちらかでした。
数年前に訪問したチェンナイのスペンサープラザは全体の三分の一だけがオープンし小規模なもので人出もそんなに多くはありませんでしたが、今回は目を見張るものがありました。店内には英語で購買意欲をそそるような宣伝をしています。結構しゃれた店舗が入っています。勿論エスカレーターやエレベーターも完備しています。店内にはあらゆる商品がそろい、最上階には東南アジア各地のデパートで見るようなセルフサービスのレストラン街も開設され若い人々で賑わっています。両替商も幾つか入っています。一等地では1ドルが44.00ルピーで2階の目立たない場所では44.70ルピーとなっています。一瞬10年前のペナンのショッピングセンターにでも入った感覚になってしまったのです。館内禁煙となっているですが、奥の方では煙がもうもうとしていたところもありました。
3.肢体不自由なRaju
マドラスでは色々と楽しい日々を思い出すことが出来ました。しかし最後に心に残ったのは足の不自由な青年Rajuのことです。マリーナビーチで最初に見かけたのが彼らのグループでした。明るい澄んだ瞳が印象的でした。彼の話によるとボンベイやゴアそしてデリーとカルカッタにいったことがあるということです。車椅子を手でこぎながらの旅です。果たして一体どの様な旅をしたものでしょうか?最後私の心を痛めたのが彼らのことでした。あまりにも印象的な出会いではないかと思います。Rajuはアンドラ人ですが、タミル州の境界近くの村に生まれたそうです。出会ったばかりですから、彼らの詳しい話を聞くことが出来ませんでしたが、物乞いを重ねながら旅をしてきたのに違いありません。もう一人の青年は確か28歳といっていました。同じように足が不自由だったと思います。そんな彼らにお茶を2度おごりました。そのお茶は今まで飲んだ中で一番美味しかったのではないでしょうか?彼の話によるとゴアは一番好きということです。新しい時計を自慢していました。200ルピーで購入したのが光輝いていたのです。それからゴアは夕日が海に沈むのがとても綺麗だそうです。しかも海の近くまで行くことが出来るから楽しいとのことです。でもここは波のところまで遠いからということでした。何しろ最初印象的だったのはタミル語教本(テルグ版)を手にしていたのがきっかけだったのです。あまり深く話しをすることが出来なかったのが残念です。今度であったらじっくりと話をしたいものです。
4.インドの水事情
昔に比べてインドが大きく変わった部分と言えば幾つも列挙することが出来るでしょう。その中でもインドの水事情は激変したと言えるでしょう。昔はミネラルウォーターを見かけることは皆無でしたが、次第に人気商品になりました。今は10ルピー前後で1リットルの水を購入することが出来るようになりましたが、以前は4倍以上もし、2本買うと安宿一泊分の出費に相当した時代もありました。
20年ほど前は部屋には素焼きの水入れ容器が置かれ、蒸発熱を利用して容器内の水を冷たくする方式でしたが、今は街角で容易に冷蔵庫でギンギンに冷えたものを販売する時代です。今では殆ど見かけることはありません。数十年前ハイデラバッドの宿に宿泊したときは、その素焼きの容器を割ってしまい、弁償したことがあります。その価格は今日の価格では10ルピー程度だったかと思います。長距離列車に乗るには水が必需品ですから、皆思い思いの水筒を持参し、列車が停車する度に水の補給をしたものです。ペットボトルの水が普及するにつれあちこちに空の容器が散乱するようになりました。生活の便利さを求めると同時に私達はしらない間にゴミの中で暮らさなければならないという悪循環を断ち切ることが出来ません。
都市によっても水の味は異なります。南インドで最悪なのがマドラスの水です。一般の食堂では州政府が供給する水道水をそのまま使っています。それが泥臭く、もんやりと濁っているのが特色で決して美味しい水とはいえません。
5.オートリキシャ
以前は自転車を改造した人力で漕ぐものをリキシャと呼んでいたのですが、最近のモータリゼーションが浸透して三輪車タイプのものが増えました。タクシーのミニ版と呼んでも良いかもしれません。大都会では見かけることが少ないのですが、南インドではチェンナイをはじめ主流となり、利用してみると結構便利な乗り物です。難点はメーターが付いていても結局は交渉で料金が決まるので地元の人々に予め相場を聞く必要があります。又土地勘というか地名を覚えておかないと交渉がうまく進みません。たいがいは駅へいくとか、宿泊しているホテル名などで行き先を主張することになります。
6.インドの新聞より
今年の春に選挙が予定されているインドでは毎日のように政府の全面広告が多く目に入るようになりました。TVでもシャイニング・インドと名をつけて華やかに現政権がプロパガンダを展開しています。内容によっては滑稽な部分もあるのですが、経済が伸びている、鉄道路線が拡大している、道路を整備した、発電所を多く建設し電力事情を改善したなどその多くは自慢話に終始しています。80歳を過ぎた現インドの首相は続投を狙っているようですが、これからどうなることでしょうか?
そんな頼もしいプロパガンダに比べると現実のインドはいまだに停電が多発し、市街地では交通渋滞が頻繁に発生し、街のあちこちにゴミが散乱しているのが実情です。まずい部分はしばらくの間蓋をして隠しているとしかいいようがありません。今の勢いで経済が伸びるとすれば、環境問題は避けて通ることが出来ないのですが、誰もこの部分に手を出そうとはしません。昔、人は自然とともに暮らしていたのですが、今、人はゴミとともに暮らさなければならなくなりました。これからのインドはどんな道を歩むのでしょうか?
エピローグ
今回で3年目を迎えたアジア旅紀行も無事終了することが出来ました。インド人との不思議な出会いも数多く経験することが出来ました。少しばかりリッチな旅を仕組んだのですが、それでも一人当たり一日平均にすると1700円程度でした。年齢のわりには多少過酷な日程があったとおもいますが、猛暑の南インド2000キロを事故もなく無事駆け抜けることが出来ました。改めて参加者の精神的な強さに驚いています。思い出してみると様々な光景に遭遇したと言えるでしょう。神秘の国、精神世界のインドというキャッチフレーズが耳に響くインドですが、実際は私達とさほど変わりがないのです。しかし場所がインドということで神秘さが増幅されているのかも知れません。日本では体験出来ない部分が数多くあったに違いありません。参加者全員の熱意とチームワークが今回も大きな旅の成果をもたらしたものと思います。今後も又新しい旅を創造していきたいと思います。
2004年2月23日カルカッタ郊外バーラサットにて
干場 悟
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