アジア旅日記No.9 ネパール最新事情1997年
今回ネパールを訪問し、現地で様々な友人達と話し合う機会を持ちネパールの事に関して各種の考察を持つ事が出来ました。簡単ですが一部をまとめて見ました。内容によっては、一部理解しづらいか所もあるかも知れません。あらかじめご了解下さい。今回の記事をまとめるに当たって現地の友人たちの協力を深く感謝しております。この記事をご笑納頂ければ幸いです。またどこかで会いましょう。
内容
さて1998年はネパール観光年とかで世界各地に宣伝を初めています。国内でもやたらとロゴマークをあしらった看板が目に付くようになりました。新しいパンフレットやポスターにも派手にそのシンボルマークを刷り込んでいます。観光産業に関連した人々の名刺にもこのマークが使われています。国内各地に於いてもネパール観光年の看板を見かけます。果たしてこの計画は成功を収めるものでしょうか?
世界的に気候が異常をきたし始めました。エルニーニョ現象が活発となり季節を問わずネパールの山岳地帯では雪がふったり嵐となったりしています。モンスーンの動きも異常を訴えています。東アフリカのソマリアやケニアでは50年ぶりの大洪水に見舞われています。マダカスカル付近で発生するモンスーンはインド洋を大きく迂回しながらヒマラヤにぶつかりネパールに雨季をもたらします。これが今年は一向に治まりませんでした。結果として、いつまでもだらだらと雨季明けが伸びてしまい季節外れの積雪を経験しています。これは南アジアだけの現象ではない様です。世界中に気象の異常なる事が報道されています。1998年の気象はどうなるのでしょうか?
ネパールでは数年前から日本語熱が急速に高まってきました。市内を歩くとあちこちから日本語で話し掛けられます。20年前は日本語の話せる人は、ほんの数人だったと思いますが、今はワンサと勉強を始めて日本語が出来る事は大きな特技とはいえなくなりました。先日友人の紹介でパタンの日本語学院を訪問する機会がありました。日本政府の援助もかなり入っているこの学院で日曜日の特別コースに参加したわけです。学生の多くはやはり上流階級のエリートの集団です。場所がパタンということもあり生徒さんの多くはネワール族です。他のグループ、例えばシェルパ族やタマン族、グルン族の人々は皆無です。そもそもカトマンズ自身の人口構成は大半がネワール人です。無理もない事でしょう。しかし彼らが日本語を学ぶ最大の理由なんでしょうか?それはどうも経済的に潤う事に繋がっているようです。全員がそうとはいえませんが、授業の内容はきれいな日本語を話し、日の丸日本の賞賛を教材としています。これっぽっちも日本の悪口について授業が行われません。真の文化交流であれば、もっと自由な空気があってもよいと思いますが…。
ネパールでは、色々な意味で外人料金と言うのがあります。その典型的なものとして国内航空運賃の二重価格制です。路線によっては我々の価格はネパール人の3倍の料金に設定してあります。例えばポカラ~ジョムソン間は外人が55$でネパール人は860ルピー(15$)となっています。特にカトマンズやルクラ、ポカラ、ジョムソン、バイラワ等の観光地を結ぶドル箱路線は二重価格の開きが大きくその他の地方路線は2倍程度の開きで収まっています。
最近98年を目前にして外人用の価格がまた数パーセント上昇しました。他方同じ便でポカラ~カトマンズの区間等は飛行機会社の競争のあおりを受け、地元客(ネパール人)は往復割引が摘要されるという宣伝を始めました。これが本当に観光客を受け入れる体制なのでしょうか?
また先日ポカラからインドの国境までいわゆるツーリストバスを利用したのですが、このツーリストバスと言うのは得てして不思議な料金体系が敷かれています。私は200ルピー支払いました。隣のアメリカ人は300ルピーで切符を買っています。途中から乗り込んだネパール人は160ルピーしか払っていません。それでいて同じような座席にすわり同じバスですから到着時間も一緒です。これもネパール観光年の一環なのでしょうか?バスの車掌と乗客とが口論となりましたが、埒があきません。バス会社にとっては客がいくら払ったのか関係なく旅行代理店から一定の金額を貰それで運行している事を主張します。実際はつるんでいるはずですが。結局この仲介する旅行代理店のマージンの上乗せ額によって客が実際に払う金額に開きが出てくるのが事実なるようです。一方代理店はこのバスは定員制で途中で客の拾う事なく貸し切りみたいなもので早く着く事が出来るという歌い文句で集客します。この路線に関して実際は大違いでした。途中であの小さいミニバスの内部にぐんぐんと客が詰め込まれます。入り口から乗客がはみ出しながら疾走して行く区間もありました。これでは、300ルピー払った乗客の腹の虫が収まる訳がありません。気温があがるに従いバスの車内は異様な匂いが高まっていきます。
その点最近売り出したポカラからカトマンズ間を走るグリーンラインバス会社のサービスは値段が10ドルと高いのですが、道中絶対に客を乗せたりする事はありませんでした。擬似ツーリストバスははっきりとその運行方法を切符の発行の前に説明するべきではないでしょうか?ローカルバスでもなく貸切りバスでもない中途半端なあいまいなる存在です。この制度はバス料金に関してのみではありません。各方面に渡って不透明な分野が沢山あります。客引きに連れられて行く宿の料金、これも一定ではありません。客によって室料に大きなばらつきが生じています。宗教観や現地の風土から考えると価格がフィックスされていない事は決して悪い事ではありません。例えば回教徒の習慣では価格は3重制ぐらいが人間社会において当然の事実であるとしています。身内の価格、友人へ対しての価格、そして全く知らない人に対しての価格と3本立てにするのが商法上の規範だそうです。この事は実際に日本でも以外と探して見ると存在しているようです。例えばデパート業界では社員価格が存在し社員は何割か割引で物品の購入が可能なわけです。日本の国内は正価販売しかしないというのは一種の錯覚なのかもしれません。ただ日本の場合はその価格の開きが少ないので目につきにくいのでしょう。料金のあいまいさはある意味で容認する事が出来ます。しかし国際的に観光立国として生きるならば、まだまだ改善しなければならない点が沢山あるのではないでしょうか?
バクタプールという古都を見学しようとすると300ルピーの入場料が必要となります。この金額は日本円で考えると600円程度ですが、現地の貨幣価値と比べて見ると地元の人の3日分の給料に相当します。古都保存のためにこの資金が使われるそうですが、それならばなぜこの町を観光に来るインド人やネパール人から料金を徴収しないのでしょう。この方法は格別ネパールだけではありません。博物館や遺跡の入場料で外国人と地元の人の料金に差別をしているのはスリランカやタイでも見受けられます。しかしインドはなぜか差別がないのです。またトレッキングにいくと国立公園の入域料や山岳保全地区への入場料として1000ルピーという大金を払わなければなりません。仕事であるいは、現地で生活している人々に対してその額を請求するのは不合理でしょうが、観光で山に入るネパール人達もわずかですが増えてきました。ところが彼らは、我々と同様な宿に宿泊し同じように食事をし散策をするわけです。同じようにゴミを撒き散らして帰ります。それでいて環境保全協会へ一文も支払う事なく帰るのです。どうも矛盾が大きいようです。
4 ビサ代金それとも住民税
先日の新聞にネパールのビサ代金を現行の倍にして「1日当たり2$とし、1$分はカトマンズ盆地の美化清掃の資金に充てるべき」という投書が載っていました。さてなぜ我々のような一時的な観光客が、地元住民の清掃料を直接負担しなければいけないのでしょうか?この都市は観光客が多いのだからと言う事で安易に観光客イコール金持ちという縮図であれこれとお金を巻き上げる手段を思い付くのはどうかと思います。もし我々のビサ料金の中にそう言った性格のものが含まれるとしたら、一種の住民税を払っている事に該当します。となると、我々には市民権が生じてもおかしくありません。カトマンズの市政に一悶着だす権利も発生するのではないでしょうか?住民の極めて少ない純粋なる山奥の観光地であればその方式が該当する場合もありましょう。成る程カトマンズの空港には年間およそ20万人の外人観光客が入ってきます。カトマンズ盆地の人口は概算で100万人といわれています。一人当たり一日1$を徴収すると言う事は市内の美化事業にとって喉から手が出るほど望ましい財源です。別な地域に目を向けて見ましょう。例えばシンガポールの人口は約250万人です。観光客の数は年同数の250万人以上が押し寄せます。シンガポールの観光行政として元来住民の社会事業としての美化清掃の為に旅行者から直接資金を請求した事があったでしょうか?どうもこの方針は前代未聞のような気がします。
最近カトマンズ市内のツーリスト地区のタメルは地区委員会が自主的に地域内の清掃を始めました。清掃のみではなく広範囲に渡った活動が行われています。毎朝掃除夫がこの界隈をきれいに掃除しています。ゴミ回収の車も頻繁に通います。他の地域に比べると格段の違いがあり、昔のゴミ捨て場タメル地区というイメージが反転してしまいました。カトマンズのゴミ処理の問題は今後も大きな課題でありましょう。年々増加する人口、それに伴うゴミの排出量の増加で対処するのも大変です。日本のように焼却炉を備えたゴミ処理場があるわけではないのです。単純に埋め立てに頼っています。いずれそれは重金属や有害物質の地下浸透を通じて水資源に悪影響を及ぼすのは時間の問題でしょう。タイランドは最近ゴミの分別化を始めました。市内のあちこちに緑と黄色の大きなごみ箱が設置されています。ネパールへいきなり日本式のゴミ処理対策を導入しようとしてもかなり無理があります。ここに発展途上国同士の連携が重要な存在となりましょう。例えばネパールのゴミ処理の問題については、近隣のインドの方式を学び次にタイやマレーシア等の方法を探索し徐々に対応するべきではないでしょうか。そうしないと総合的に物事が機能しなくなるように思います。
5 誰が得する観光年
このネパール観光年は一体誰の為なのでしょうか?誰が潤うのでしょか?ある統計によるとネパールの国民総生産の中で占める観光産業の比率は4から5パーセントにしか過ぎないと出ていました。成る程観光産業の促進のため外貨が流れ込んできます。しかし豪華な宿泊施設を建築しそれを維持していく為には一旦入り込んだ外貨は半分以上が資本財の購入の為に外貨の支払をしなければなりません。ホテルの各部屋にはテレビや電話を準備しなければなりません。国際資本の流入があるという事はその投下資本に対して利益があがればそれは投下した国外に逃避してしまいます。借入れしたお金で運営しているとすれば将来において返却しなければなりません。観光客がふんだんに日本食を摂り、外国産のウイスキーを飲むとすれば、その食材を購入する為に何割かは流出してしまいます。そう言った観点からすると上記の4~5%程度しか寄与しないのではないでしょうか?
ましてや、現在の繁栄はカトマンズに限られた状況ではないでしょうか?第二の観光地ポカラを先日訪問したら、なんとつい先日1週間停電が続いたそうです。季節外れの集中豪雨で送電線に支障を来したようです。またカトマンズとポカラ間の道路は一部区間が昔のままで補修される事もなく車の速度は、がくりと落ちてしまいます。現在新しく事業として整備計画に入っているのですが97年中に完成するとは思われません。観光客が集中する路線のみが整備される訳で、他方観光客の少ない地方になると社会資本の充実すなわち道路整備や給水設備或いは通信網の整備等は全く手が付けられない状況のようです。
一般的にネパールは国土が山に囲まれ主要なる産業もないので観光が最善でその方向を明示しょうと必死のようです。その反面タライ地区という広大が平野部がインドと国境を接しています。バングラデッシュの様に大きな水害が起きるわけでもありません。以外と第一次産業の基盤づくりにふさわしい地域を抱えているのも事実です。しかし一旦観光産業を開放した場合、我々はその弊害の部分に関しても充分なる注意を払う必要があると思います。文化汚染を筆頭とした観光公害とでも名付けましょう。ネパールの場合に時々議論されるのですが、登山料という名目で政府自身が財源確保の為ネパールの高峰を切り売りしていると同じ事ではないでしょうか?観光産業に携わっている人々の思考の中も混乱しているのではないかと思います。自国の誇りにしていた文化を犠牲にして経済的繁栄を追いかけなければなりません。ましてや観光業は一種の「棚からぼたもち」的な要因を多く含んでいます。現在ネパールでのトレッキングの会社はおよそ300社あるそうです。そして年間の外人観光客の数は24万人程度です。その中でトレッキングをする人は約3分の1ですから8万人です。更にその中で代理店を通してトレックをする人が半数と仮定しましょう。この数字を一日当たりのトレッッカーの数に換算するとおよそ100人にしか過ぎません。ここへ300軒の店が競争に参加するわけです。すなわち一軒の代理店は年間100人程度の顧客を持つ事で成り立っています。10人のグループが10組あれば一年間充分その代理店はカトマンズ市内に事務所を構えて商売出来るわけです。平均一ヶ月に一組みの客で充分という事なのでしょうか?という事は彼らの商法の中でマージン率がいかに大きいかを語っています。一組みの客から莫大な手数料を稼ぐ方策をしったからには、こつこつと物資を生産して地道に発展しようという発想からは遠のいていきます。どうも観光産業と乞食産業は紙一重ではないでしょうか?
ネパール全体の空気として、若い人々には仕事がないとか失業率が高いとか不満が募っています。一体誰がこの状況を作り上げたのでしょうか?殆どの人々が観光産業ばかりに眼がはしり、一次産業としての農作業に手をかそうとしません。広大な耕地を目前としながら一獲千金の観光客という魚つりに夢中になった結果ではないでしょうか?国の社会資本充実のために数多くの土木作業等が残されています。が誰一人として関心をよせずに政府を非難するばかりです。さて一体誰が政府をえらんだのでしょうか、1990年以降は国王のよる専制が解散となり民主主義という原則に従い選挙がなされ現在に至っています。政府の非難を時には切り替えて一部の政治家の賄賂のせいで国が伸びないのだと結論づけるのが一般的な傾向にあります。発展途上国においての民主主義は、わがまま主義と同居しているのではないでしょうか?ネパールの歴史の中でいつだったか忘れましたが今から40年程前のトリビュバン国王の時代に一度民主主義が登場した事がありました。ラナ家の専制から開放された国王の下で選挙がなされ確かネパールコングレス党等が主導権をにぎり連立政権が数年間続いたのですが、あまりの混乱で国王は政党活動を禁止し国王自らが政権を担当する事となったいきさつがあります。諸外国に例をとっても解るかと思います。フィリピンでは長い間マルコス大統領が独裁的の長期間政権を握りました。インドネシアではスハルト氏が、ビルマではネウィンさんが、パキスタンではジアウルハク大統領が、バングラデッシュではエルシャド氏が、インドに於いては途中多少の変更がありましたが、基本的にはガンジーの家系が国の運営に当たりました。国家発展の初歩段階には強いリーダーシップが必要なのです。このように考えるとネパールの民主化は早すぎたという意見をあちこちでよく聴く事がしばしばです。1980年当時人々は民主化の実態を知らずに単なる夢に浮かれていたようです。
近隣のスリランカに眼を向けてみましょう。1970年後半からそれまでの社会主義の方針が転換されジャヤワルデネという方が大統領となり、国内の経済を開放し観光産業にも重点を置く方向に向いました。当時の国民の一人当たりの所得は250$程度だったと思います。現在のネパールと同様な発想で観光客誘致を繰り広げていきました。結果としては、いつまでも自立する事ができなく、同国の所得が現在は600ドル程度に上昇したのにも関らず外国人をみるとあなた方はお金持ちなんだからという理由でたかり的な行動にでています。国民総乞食的な印象を払いきる事は出来ません。
概して発展途上国に於いての観光産業は確かに容易にその外貨獲得の手段となりえますが、その国の大衆の生活水準と観光をする側の生活水準の違いがあまりにも大きく、このギャップをどのようにして調整していくかが焦点になると思います。例えば日本の一人当たりのGNPは20、000ドルです。対してネパールのそれは国連の発表では最貧国の部類にはいり年間一人当たり200ドルの収入で生活しているのが大半という事実があります。収入が違うという事は単に経済的な差異を示すのみではありません。そこには文化の基盤も大きく影響してきます。所得の向上は大量消費文明の一役を担う事を意味します。人々の精神構造はますます物質的なものとして育っていきます。このようにして徐々に文化汚染が観光産業を通じて拡大するのではないでしょうか?また、訪問する側は二国間の経済格差の余りにも大きい事を知り、個人レベル又は国家間のレベルを問わず援助という行動に迫られます。それらが極端に援助漬けの現象に陥る場合も見受けます。これも最近のネパールにおける特殊な事情の一つでしょう。
ネパール自身はその歴史の中で植民地になった事はないと自負しています。しかし最近の事情を分析してみると諸外国の援助なしでは国家が成り立ちません。観光産業なしでは国家が成り立ちません。全く新しい形の植民地化ではないでしょうか?別な意味で新植民地主義という言葉があります。これは、1945年以降世界各地で民族運動が高まり旧宗主国からの独立を勝ち取ったわけですが、その後真に独立できたのでしょうか?政治的には、独立を勝ち取った様に見えましたが、経済的には従来の方式が継承され、宗主国の支配の下に国家が存続していたわけです。そう言った事柄にも似ています。極端に経済的較差を持った国同士が行き交う際には、この種の問題に充分注意を払う必要があるのではないかと思います。
ある旅行代理店のマネージャーと話をしていたらネパールには質の高い旅行者を来るように努力するべきだという説が出ました。さて一体質の高い旅行者とは誰の事なのでしょうか?彼らにとっては、高級ホテルを利用し、一流のレストランで食事を取りタクシーや飛行機を利用し豪勢に金を使ってくれる観光客が質の高い観光客という視点での発言でした。どうもが合点がいきません。そう言った論法でいくと私など一日5$平均しか使わない客は望ましからず客のようです。実際考えて見ましょう。私達のような貧乏なる旅行者は2ヶ月滞在すると既にビサの代金としてネパール政府に55$納めている勘定となります。短期で一日100ドル平均を支出している人々は15$しか査証代金は払っていません。さて彼らの平均滞在日数を7日とすると総費用は700ドルとなります。果たし彼らはその人生の中でネパールという国に何日過ごすでしょうか?多分5年に一度程度しか訪問できないと思います。片方我々のような安い費用で来ているグループはほぼ毎年ネパールを訪問し5年間の間におよそ10ヶ月以上の滞在となりましょう。一ヶ月の平均滞在費用を200$とするとなんと2000ドル以上のお金を使う勘定となります。経済的貢献度はどちらが高いでしょうか?さてこの問題は経済的観点からのみ語るものではないと思います。社会的に考えてみる必要もあるかと思います。高級ホテルにとまり豪勢なる旅行をする人々と我々の様に現地密着型の旅行では、旅をする側の視点が一寸違っているのではないでしょうか?すべてがそうとは言えませんが、一般的に金を沢山使う人の思考としては、お金で全てが解決出来るという思想が中心となります。我々のような安い旅行をする場合の観点はこの国に迷惑をかけないようにしながら、この国を見せて頂きましょうという発想から成り立っています。出来る限り現地のスタイルを取り入れるのに必死にならざるを得ません。徐々に慣れてくると騙される事も数少なくなります。ネパールの色々な話を人々が語ってくれます。その国の長所も短所もしっかりと把握する事が出来ます。さてもう一方の高級観光グループはどうもガラス越しにしか物事が見れないようです。上流階級の人々と語り合いお世辞をいわれて喜びネパールはとてもよい国だったと感激して帰るのみです。この国の実状や苦しみを知るよしもありません。それを知った所で彼らは単に観光旅行に来たのだから何もこの国に関して悩んだり考えたりする事は必要ないようです。
ネパールを訪問する旅行客も多様化しました。昔はヒッピーの類いか高級パッケージ組の2種類でしたが、最近は色々なパターンの客層で構成され始めています。長期滞在の人も増加しました。ネパールといえばヒマラヤの山登りがあこがれの対象だったのですが中世の面影を残す魅惑的な都市や地方の文化に興味を抱く人もいます。また何にもせずに単にリゾートとしてのんびり過ごす人もいます。中高年の年金生活を始めた人々にとっては、現地の生活に慣れると快適に格安に生活ができるようです。別名年金パッカーなる新語も登場しました。若い人々の中にはマリファナを追っかけて過ごしているグループも多くいます。
ドラッグ類の販売は、非合法なのですが、あちこちから声がかかります。この面でもネパールは闇の経済の中に組み込まれて所得向上に一役を担っているようです。これは、ドラッグでトリップする人々のみに責任があるように解釈しがちですが、大きな視点で捕らえると日本という社会が生み出した副産物の一種ではないでしょうか?高度に機能する日本の社会。時間に追われ無駄のない社会が大きなストレスを生み出しているのは事実です。将来何をするべきなのか将来を見る事のできない時代に突入しています。それらの反動を受けて若い世代をとりこにしているようです。
他方長い間日本でサラリーマンをして退職後にこちらを旅行している中高年の人々も増えました。これは、現地に順応出来るかどうかは、個人差がかなりあるようです。昔から外国に関連した職業に就いていた人にとっては有利です。しかし国内に関係した職業をリタイアした人にとっては、厳しいようです。日本と現地では大きくシステムが違います。時間の流れにも開きがあります。暗中模索している方もいるようです。ガイドブック等は主として若年層を対象にして編集されているようです。中高年を対象とした、情報交換の場所や機関が存在してもおかしくない時代かも知れません。もしかすると、ベンチャービジネスになるかもしれません。
最近地球の歩き方という旅行の情報本が大ヒットし、バイブルのような存在で旅行者の大半がそれを小脇に抱えてあちこち徘徊しています。始めて知らない国を訪問する人々にとっては有力な味方なのでしょうか?彼らの行動を観察していると本に書いてある事柄を絶対的に信用しています。中には本を読みすぎて中身を全部暗記したのではないかと思われる方もいます。あまりにも詳細なる情報を載せた結果、読者は自分自身で考えるという過程を失ってしまったようです。特定の宿に特定のレストランに旅行者が集中します。それぞれが個性を持って行動しているのでしょうか?彼らの会話の内容は、ほぼ全員一致で書籍に書いてあるのと同様な議論をしています。書籍による情報の氾濫の結果、基本的な情報収集の方法すなわち人と直接対話すれば、有益な情報が得れるという事を忘れてしまったようです。どこに行っても必ずといって良いほど街角ではこの本を抱えて立ち読みをしながら次のポイントへ移動していきます。
昨年の5月にネパール人と共に旅行をしてみましたが、彼にとってはガイドブック等という存在には全く縁がありません。もうなりふりかまわず地元の人々に聞きまくって情報の収集です。単に旅行情報だけではありません。熱心に地元のひとの語る話や説明に聞き入っていました。情報という物は氾濫しすぎると我々は撹乱されてしまいます。真に必要とする情報はなんであるのか、情報をどのように選択すればよいのか、また情報そのものの質を研究したりする分野はずいぶんと遅れているのではないでしょうか?情報の伝達方法が発展しただけで混乱が続いているのが現状だと思います。
極端に経済較差のある2国間の関係に於いては、観光産業に付随して2国間援助という行動が伴って来ます。援助に関してはまた別項目に書く事としますが、その国の実状を深く理解する事なく単に表面的に貧しく見えるから援助をするといった安易な発想に陥る場合がおおいようです。文化の基盤を知る事なく経済の較差のみでの援助は、そろそろ止めにしたいものです。日本とネパールは一体どちらが貧しいのでしょうか?例えば老人問題を考えると、日本では数多くの老人が一人で孤独な状態におかれ寂しく死を迎えるケースが多くありません。しかし大家族制度のネパールでは、老人の世話は家族の誰かが見なければいけなという文化の基盤があります。
最近多くのボランテア活動を見受けます。またネパール各地と友好関係を結ぶ日本の市町村も増えています。果たしてこれらの活動はうまく運営されているのでしょうか?一部のネパールにおいての上流階級と一部の日本の人々との間に交わされる友好協定は一体何を物語っているのでしょうか?これらの友好関係が真に今後の相互の発展に寄与するものでしょうか?
新聞やマスコミ等には極めて派手に素晴らしい事が報道されています。真の援助活動であれば、真の国際交流であるならばお互いの長所のみを知るのではなく短所も討議される課題の一つのはずです。ネパールの多くの親日家と話をすると我々は褒めたたえられるばかりです。ぜんぜん我々の欠点に関して非難するような発言はなされません。また多くの短期の訪問者やネパールに関して深い事実をしることなく表面的な印象のみで、ああネパールはとてもよい国だという印象しか持ち合わせません。お互いが褒めたたえるのみで今後の2国間の進展は望めるのでしょうか?お互いに対等の立場でプラスの個所もマイナスの個所も討議してこそ本当の友好関係への道ではないでしょうか?
個人的な例ですが、私はあるネパールの友人を支援しています。彼はネパールの観光地ポカラに生まれて育ちました。家庭は裕福ではありません。通常のパターンとして学校は中退し半分ドラッグの中毒となりました。生活は、すごくすさみ家庭の誰からも相手にされることなく今後どのようにして暮らしていくのか悩んだようです。私にとってもこれは大きな試練でもあったわけです。単に金銭の支援のみで問題を解決する事は出来ません。本人の心の中に入り込んでじっくりと話し合わないと解決策を見いだす事は出来ません。最初は本人の自立のために湖で商売をするためにボートを買いました。きつくドラッグを辞めるように忠告もしました。一年程して、その経過をみると、これもどうもうまくいきません。ボートを買った時点で必ずその収入を毎日ノートに記載するようにと強く注文をつけました。幸いにそれはしっかりと守ってくれました。また、日記を書く事を習慣にするように説得しました。本人はその2点をしっかりと守りました。しかし生活は一向に楽になりませんでした。本人もどうしてなのか気がつきました。収入の半分程はドラッグの購入に流れていった事実を嫌というほど実感している訳です。この種の商売は観光客が対象であり、シーズンとオフシーズンの開きは沢山あります。また一台しか持たないボートで商売をするのですから、客待ちのまどろこしさと、客がボートを利用している間の空白の時間を処理する方法が見つかりませんでした。そんな状況を目にして双方で解決策を見いだす事に必死となり、現在はお父さんの商売である仕立屋の仕事を身につける事を提案しました。従来のいきさつで本人は家族に信頼されていなかったので一寸入りづらい道だったようですが、今回インド製のミシンを購入して張り切っています。これだと自宅の前でミシンを習いながらボートの客待ちもできます。どう考えても一石二鳥の解答だったようです。今本人は真剣にミシンを踏んで努力をしているようです。今後も彼の人生を気長に見守っていきたいと思います。本人が自立出来る道を互いに探り当てる事が真の援助ではないかと思っています。
先日ある旅行代理店のパンフレットに愛の宅急便と称してネパールへの援助を兼ねてのツアーの企画が載っていました。その名前はとても立派なものです。このNGOの動きも結局は高級ホテルに何泊かするツアーの中へチョコっと現地との親善友好プログラムを組み入れてあるようです。ここで私が思うのですが、一日の予算を100ドルとして、7人のグループが使う費用は700ドルになります。事情によってはこの費用を最低に押さえるとすれば一人20ドルとしたら7名で140ドル、その差額は560ドルに匹敵します。こうなるとすごく大きい金額となります。これだと結構まとまった額となり何か具体的な活動に充当出来るわけです。色々な形の援助団体が現在は雨後の竹の子の様に乱立しています。それぞれがバラバラに活動しています。これらを有機的に結び付ける機関は存在するのでしょうか?それぞれの代表が意見や情報を交換するだけでも今後の活動に於いて非常に有益なものになるのではないでしょうか?
およそ10年程前にタイランドは国際的な観光年のキャンペーンをして大成功を収めたことがありました。私が最初にタイを訪問したのは1974年だったと記憶しています。今から20年以上も前の事でした。当時のバンコクの市内バスはすごく古くて車体がぼろぼろで牛詰めだった事を覚えています。社会基盤を整備中という所でした。その後10年の期間を置いてある程度インフラストラクチャーが整備された時点で観光年の企画を始めた訳です。当時の世界の経済の動きも現在のように行き詰まり的な暗い影もなく、ほとんどの国が先進国発展途上国を問わずに順調に上昇し続けていた時代です。国内でも所得の向上がみられ外国人のみを対象とした観光年ではなく国内の人々をも対象にしたキャンペーンが始まりました。昨年のビルマ観光年に関しては予想外に観光客の流入が少なかったようです。背景としてはビルマ国内の政治的不安定がマイナスの要因になったようです。しかしビルマという国は観光産業を主体として国家が成り立っている訳ではありません。今回の国家の企画が外れであっても誰も困る人はごく僅かなわけです。このようにして諸外国の経験や背景等も考慮した上で政策を決定するべきではないでしょうか?
さて最近の東南アジアは経済危機が叫ばれています。現在タイのバーツは下落中で半年前に比べると50%安くなりました。という事は外から見ると物価が極端に下がった事となります。すなわちバンコクとカトマンズの物価はどちらが安いのでしょうか?答えは簡単です。現在はタイのほうが物価が安いのです。同様な設備の宿を利用した場合、何百キロも長距離バスに乗った料金、一食に要する食事代、石鹸等の日常品そしてTシャツ、衣料品等も質が良くて安価であるという事態になりました。これはタイだけではなく隣接する周辺諸国も同様に半年前に比べると物価指数は半分となりました。外国からの高級品は直接影響を受け高騰するのでしょうが、自国で生産できる食料等は輸入に頼っていないので大きな影響は出ません。インフレが進行しますが、それよりも通貨の切り下げ率の大きさで完全に飲み込まれてしまいます。こうなると観光産業の部門においては強力な競争相手になります。インドネシア等は2年前には1ドルが2250ルピアでしたが、現在は7500ルピアまで落ちてしまいました。すなわちインドネシアの物価は三分の一程度に下がっているはずです。当然人々はそちらへ足を運ぼうとする事になりましょう。ネパールの通貨も最近少しではありますが、通貨の切り下げが進行しています。一年前に比べると10%程度の下落率です。インドの経済に支配されているのは事実です。さて一体どこまで通貨が切り下げられる事になりましょうか?ネパール観光年も色々な面に影響されています。タイは今回の経済危機を乗り切るために新しく観光客誘致のキャンペーンを展開中です。競争相手が増えましたぞ。
ネパールではまだまだ投資する部門が数多く残されています。国民全体が観光産業にうかれ基本的な農業等を誰もしなくなる事は残念な事です。以前は食料の自給率は100%を越えていたのですが、ここ数年前からは食料を輸入に頼る事となってしまいました。国家の政策に依ってこれらはいくらでも変えようとすれば出来る事ではないでしょうか?
今回のイベントはネパール国内の限られた一部の人のみが恩恵を受けるようです。一部の観光産業に関与する人々にとってはとても有り難い事です。しかしその数は一体どのくらいなのでしょうか?多くのネパールの人々は山村や村落部で生活をしています。電気や水道が全く完備していない地域が殆どです。カトマンズ市内だけが巨大化し、高度化しはじめています。カトマンズ盆地では外国のファッションが幅を聞かせています。高級車が走り回っています。電子メイルで諸外国との連絡は格安で一気に通信する事が出来ます。このようにして都市部と村落部との較差も日毎に高まっていきます。一歩カトマンズ郊外にでると、極めて原始的な生活が待っているわけです。さてそのカトマンズ市内の近代化はどうも部分的にしか発展していないように見うけます。例えば今はコンピューターがカトマンズ市内で大ヒットして結構あちこちでデスクトップを見かけます。果たして彼らは、これらをビジネスの新兵器として使いこなしてるのでしょうか?今回の旅でいくつか友人も増え彼らもパソコンを利用しています。実際に私が観察した所殆どのケースは単にワードプロセッサーを利用して文字を装飾しきれいに仕上げる事で目的を達したと彼らは感じています。エクセル等の表計算やアクセス等のデータベースの利用は殆ど出来ていません。この事はネパール人の名刺をみるとすぐ分かります。我々日本人の名刺よりもきれいな装丁でかっこよく仕上がっています。しかしそれは単に表面だけの事で中身はまた別問題という事なようです。
多くの人々が自営業という形で何らかの商売をしています。その中には大学の経済学部を出た人や商業高校を卒業し、簿記を習った人々も多くいます。しかし実際はどんぶり勘定の世界です。有機的に彼らの学んだ事柄が結びついていません。我々が高等学校で微分積分を習ったと同じ現象です。そのノウハウを実際に生かす事ができない状態です。友人の旅行代理店の作業を観察していると、彼らの作成する予定表はとても立派に仕上がっています。そのために何時間もかけて旧式の日本語ワードプロセッサーで仕上げたようです。それも料金の中に含まれるわけですが、一枚の予定表を作成するのに2日間必要なのです。さてそのスケジュールの実際は、ネパール国内のインフラの不備から殆どと言って良いほどその通りにいきません。飛行機は予定より遅れます。宿の手配に不備があったりレストランのサービスが非常に遅かったりします。これらの現象は、どうも型だけが揃っているだけで実態が伴わないというネパール症候群の一つかと思います。
12 庶民の考え
さてネパールの大衆の考えは一体どうなっているのでしょうか?一部の上流階層の間には、かなり西洋的な或いは日本的な思考を持った人々が増えています。しかし土着のネパール人はやはり極めて保守的な考えに捕らわれているようです。例えば子供は神様からの授かりものという概念が強く産児制限や堕胎などの行為は神様の摂理に反する行為だから意識の中に存在しないようです。従って貧しい人々には益々子供の数が増えて行くわけです。貧困が貧困を生み出す状況がここに存在します。性病等も適切な知識の不足で蔓延しがちです。社会の構成が原始時代であれば、そのような状況が存続してもさほど支障はきたさないのですが、現在の社会国際化する社会においては生存の為にあらゆる知識を身につける必要があるのではないでしょうか?しかしそれぞれのアイデンティティをなくさないように留意をはらはなければいけないと思います。ネパールの性愛文化はある部門では極めて初歩的な要素で凝り固まっているのが現状です。その事は彼らが純粋に愛を見つめているという点から説明がつくのですが、現在多くの国際結婚が進行している中に於いては幅広く性愛文化を知らないと悲劇の結末に終えるケースが多く見受けられるのです。従来の文化を維持しながら国際社会にまた、現代社会に対応するにはどうすべきなのか、調和を求めて進めるべき道を模索しなければなりません。
友人の語る話でこんなのがありました。神様はすべての生き物に40年の人生を与えてくれました。ある時ふくろうがいいました。「私は目が見えないのでつまらないから早く人生を終わりにしたいのです。半分の20年で充分です。」それで神様は人間に人生を20年間プラスしました。ある時ロバが言いました「私の人生はいつも重いものばかり背負って楽しくありません。20年短くでも良いです」それで神様は残りの20年を人間に与えました。牛さんが言いました「私もいつもだらりとして人生を送っています。早く死んでもかまいません20年神様にバックします」こうして人間は100歳まで生きる事が出来るようになりました。しかしそれはそれぞれの生き物の軌跡をたどった残りの60年です。40歳を過ぎると我々は眼が薄くなってきます。これはふくろうの人生です。60才からはロバのように従来の人生の苦しみを持ち続けなければなりません。80歳からは路上をさまよう牛のように何にも考える事なく無為に時間を過ごすという宿命を背負う事となったといいます。
新年が近づいてくるとあちこちの高級ホテルの年末年始のパーテーの広告が紙上に登場してきます。その料金も一人2000ルピー等と高級化しています。最近はこの広告は外国人のみを対象にしたのではなくネパール人をも対象にしています。ネパールの上流階級はいまや我々よりもはるかに所得が高い人々なのです。英字新聞の内容と地元のネパール語の新聞とでは同じ新聞社が発行していても内容が全く異なっています。興味の対象となる記事も違うようです。生活水準は極めて高く栄養豊富な食べ物を取り世界の最先端を行くファッションを身につけようとしています。さてこの人々は自国の発展に関心があるのでしょうか?海外援助ではなく、内国援助をそれなりにしているのでしょうか?どうも一般的にネパールのセンスからすると、いわゆる援助漬けに対しての甘えが生じているようです。ネパールの政府自身は財政状況が逼迫し貧しいのですが、一部の庶民を見ると非常に金持ちなのです。いつになればこの国の金持ちは自国の貧しい人々に手を差し延べる日がくるのでしょうか?真の援助とは人々が自立出来るような道を模索する事ではないでしょうか?ネパール国内に於いても自ら富めるものと貧しいものとの二重構造となり南北問題化している状態です。ネパール人の性格はインドに比べると非常に温厚なようです。気性が激しくはありません。従ってインドの様に大きな暴動等の生じる機会は少ないように見受けます。しかし散発的に一部の地域でマオイスト(共産党系)なる政治結社がテロ事件を巻き起こしているのは、こういった貧困問題に対する不満の爆発ではないかと思います。
外人だから、彼らはお金持ちだからたかってもよいという発想で物事を進めてよいのでしょうか?勿論南アジア全般の文化の背景には、金持ちは貧しい人に施しをするのが当然という考えが浸透しています。ネパールの人々にとっては、このような行為には、さほど抵抗がないようです。しかし今回の企画は全世界を対象にした国家のプロジェクトです。もう少し広い視野を持って臨むべきではないでしょうか?
さてネパールの人々と話をしていると時々次のような事が話題になります。「ネパールは海を持たない国でインドや中国に挟まれた国です。したがって非常に国家の運営が難い事がしばしばある。」成る程それも事実でしょう。数年前にインドとの感情が悪化し一年間インドから経済封鎖を受けた事がありました。ネパールの人の話によると、インドはネパールへ悪質な石油を売っている。インドとネパールの関係は切っても切れない程密接につながっています。ネパールは中東諸国から原油を購入しますが、まずインドのボンベイに陸揚げされます。製油所を持たないネパールはインドに精製を依頼しなければなりません。その見返りとして陸路で精製後の製品を搬入する権利を獲得出来るのが実状です。その際インドは悪質な商品しか提供していないといった被害妄想的な一面を持つ事となるわけです。実際にインドの東部のアッサム地方では良質の原油がとれるそうですが、その油はどれだけ国境が近くても配給を受ける事が出来ません。さて実際にネパールの購入する油は不良品なのでしょうか?デリー市内やカルカッタ市内等インドの巨大都市の排気ガスの量は莫大なものです。真っ黒い煙をはいて車がいき通いしています。これは何もカトマンズだけの現象ではありません。すなわち油が悪いのではなく、車両の整備が充分ではないという事が主要な原因であって、ちょっとこじつけ的な面が見えてしまいます。
どうもネパール人は自国には海がないから(港)国家の存在に非常に不利な立場だと主張します。しかしエンクレーブドの国はネパールだけではありません。例えばラオスやアフガニスタン等は海を持たない国です。ヨーロッパではスイスやオーストリアそして旧東ヨーロッパのいくつかの国々にも港がありません。それでも国家は成り立っているわけです。そう言った事でかなり甘えの構造が残っているように思います。海がないからダメという単純な発想でしかありません。海がない事を逆にアドバンテージとして見つめるのも悪くはないと思いますが。
ネパールの庶民にとってチベット人の存在は大きく影を落としています。難民として流入したチベット人は今は第二世代や第三世代に変ろうとし、その人口も増加の一途を辿っています。加えて難民という事で世界各地からの支援を受け彼らの教育水準はネパールの平均をはるかに上回っています。それがネパール人のしっとにつながっているようです。いつかはチベット人がネパールを侵略してくるという危惧を抱いています。時々この種類の問題が沸き上がり社会不安の一つとなっています。このチベット難民問題に関しては、当の中心人物はインドに逃れ平穏無事に過ごしています。しかし多くの残された人々すなわち現在の中国領ないのチベットに住む人々は一体どのような暮らしをしているのでしょうか?難民の救済に関しては概して外部からの干渉でイメージが作られ実態とかけ離れるケースが多く見受けられます。現在のネパールに住むチベット難民は各国政府の支援の下で安定した生活が送れるのが実状です。時々チベットに自由をというデモンストレーションがネパール国内で発生しますが、実際は西洋諸国を中心として人権擁護団体の後押しがあって成り立っているのではないでしょうか?その行動は真に現実を反映したものなのでしょうか?
ネパールの文化はインド系とチベット系の複合化したものと見受けられます。概してチベット系は仏教を主体として文化であり、インド系はヒンヅー教を主体としたものです。これは、良く観察すると面白い事実を発見する事があります。今回は新しくシェルパ族の友人が出来およそ一ヶ月間お互いに食事をしたり話をする機会を持つ事が出来ネパールの文化の違いを発見する事が出来ました。概してチベット系の人々はヒンヅー系に比べると階級差別の意識が少ないようです。チベット系社会にも一応身分差別的な要素がありますが、インド系ほど厳しくはないようです。彼らの食事風景はネワール系やインド系の人々とは違います。他人の皿に箸をつける事にはさほど抵抗がないようです。スープ等は一つの鉢に皆が手をつけます。他人の食べ残しも捨てられる事なく誰かがそれを食します。このように身分差別の少ない事は現代社会において努力すれば報いわれるという実感を体感する事が出来ます。チベット系の人々の多くは努力をして容易に経済的に優位な立場に立つ場合が多いようです。ところがヒンヅー系に於いてはカースト制という宿命的な影が見え隠れし、多大な努力をするにもかかわらず結果的には上昇できないというジレンマを抱えるケースが多いようです。もちろん別の観点からすると彼らの意識の中には単に経済的優位に立つ事が人世そのものだという考えは少ないように見受けます。ここに文化構造の大きな違いを見出せるのではないでしょうか?ところが現在世界が極めて狭くなり、多くの人々が国境を越えて行き交うようになった現在、彼ら自身も自分達の文化について疑問を抱えるようになってきたようです。果たして今後どの様に変化していくのか観察を続けていきたいと思います。
考えてみると日本とネパールの社会構造は大きくかけ離れた一面を抱えていると思われます。先日ランタン谷の入り口の村落であるシャブルベンシという所で日本から持って来た風船が子供たちの大人気となりました。他方日本ではアニメ番組をみて260人の子供たちが精神的に異常をきたし入院するといった事件が発生しました。風船一つで子供たちは色々な遊び方を工夫していきます。独創的な思考を与えてくれる絶好な手段だったわけです。他方日本の子供たちは誰も風船では喜ばないようです。コンピューターゲームで明け暮れた後は衝撃的なアニメを見る事でしたエキサイトすることができなくなりました。その結果病気となり高額な医療費を払う羽目になるのです。一体どちらが幸せなのでしょうか?文化の発展の功罪ともいえましょう。そもそもこの現象を画像文化の進歩と解釈してよいのでしょうか?単に映像技術のハード面が進化したのみで画像そのものが暴力的シーンだったり残酷なシーンだったりする事を社会が要求し始めた結果ではないでしょうか?近代的だから素晴らしいという発想からそろそろ逃れる時期に差し掛かったように感じます。バーチャルリアリティのみを追求する結果現実の社会の実態を把握できなくさまよう人々が増加したのではないでしょうか?
日本では多くの若者が携帯電話を持つようになりました。電話というものは以前の感覚では大切な用件を一刻も早く知らせる手段として利用が始まったと思いますが、現在の日本ではそれは全く異なった意味で利用されています。特に若い世代では長々と話を続けています。一時間でも2時間でも話が途切れることなく延々と会話が流れていきます。どうも彼らの世代では社会の中に漂う虚無間をお互いに電話を通じて分かち合う事に利用されているようです。
最近コンピューター通信を通じてのチャット(会話)も盛んに行われています。これは実際に相手を見る事なく最新の機器を駆使して遠くの友人と情報の交換をして楽しむ要素があります。しかしここに大きな落とし穴があるわけです。相手の存在はあくまでもコンピューター上でしか見る事ができません。生身の人間との会話ではないわけで、この際に発生する中傷誹謗を誰もコントロールする事が出来ません。言い換えるならばわがままで好き勝手な発言をしているグループの一種ともいえます。ここにも現代社会特有な虚無間を分かち合い互いに慰めあっているという一面が存在しているようです。
現代の日本社会では多くの人が何をするべきなのか、何をすればよいのか全く将来が見えない状況に置かれている場合が多いのではないでしょうか?現在の日本の社会にハングリーな精神は存在しなくなりました。飽食の世代で育った人々が社会を担いつつあります。さて40年後の日本の姿はどのように変革をしているのでしょうか?超新人類が日本社会の主役となっている時期となりましょう。
インドやネパールは精神世界の国というイメージを持っています。もちろん肯定出来ます。また反面肯定できない面もちらほら登場してきました。これらの国々を時間をかけて観察する事に依って真の良さを把握出来る事が出来るでしょう。つい最近まで東南アジアが21世紀の主役となるべく世界が脅威を感じていました。近年の経済状況の悪化でその夢は大きく崩れてしまいました。しかしそれは単に経済活動のみを捕らえての表現だったのではないでしょうか?現在の東南アジア諸国はたとえ通貨の切下げで国内の景気が後退しても内在する人々の生活すなわち古来の文化は生き続けています。これが真のアジアの社会なのではないでしょうか?経済活動と切り離して社会を考えるならば、いくらでも豊かさを見いだす事が可能と思います。同様にネパール自身も経済の発展のみに捕らわれる事なく真の豊かさを模索するべく方針が望ましいのではないでしょうか。またそれに対応する先進諸国は彼らから学ぶべき個所が数多くある筈です。今後の国家間の友好関係を考えるにあたり今回のネパール訪問で知り得た情報を基にいくつかまとめて見ました。
Sunday, January 11, 1998 07:06 PM
干場 悟
S.Hoshiba
南インドタミールナード州
マハバリプラムにて、